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東本願寺の見所

御影堂・阿弥陀堂・諸殿

東本願寺(真宗本廟)の敷地には、御影堂、阿弥陀堂をはじめ、数々の歴史的建築物が点在しています。その一つ一つが京都の近代和風建築を代表する貴重なものです。通常は非公開の建物が多くありますが、スペシャルサイト「ようこそ東本願寺へ」で一部ご覧いただけます。


参拝接待所・ギャラリー展示

1934(昭和9)年、現在地にあった旧志納場に替えて、武田伍一博士の建築監修のもと、参拝者の休憩や礼金・志納・寄付等の受付窓口として新築されました。また、参拝接待所の北側地下部分には1998(平成10)年の蓮如上人五百回御遠忌の記念事業として、高松伸氏(建築家)監修のもと、「真宗視聴覚ホール」が竣工し、仏間や応接室、参拝接待所ギャラリーなどが設けられています。ギャラリーでは、宗祖親鸞聖人に関する史料や東本願寺の法宝物の展示、東本願寺からのメッセージの発信を行っています。


渉成園

池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。1641(寛永18)年に三代将軍・徳川家光から当地(約一万坪)が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。園内の諸殿は1858(安政5)年、1864(元冶元)年の二度にわたって焼失。現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものです。庭園には四季折々の花が咲きほこり、変化に富んだ景観は「十三勝」や「十景」と称されて、高い評価がなされています。


毛綱

両堂の再建時、巨大な木材の搬出・運搬の際には、引き綱が切れるなどの運搬中の事故が相次いだため、より強い引き綱を必要としました。そこで、女性の髪の毛と麻を撚り合わせて編まれたのが毛綱です。
当時、全国各地からは、全部で53本の毛綱が寄進され、最も大きいものは長さ110m、太さ40cm、重さ約1tにも及びます。いかに多くの髪の毛が必要とされたかがうかがわれます。
現在、東本願寺に展示されている毛綱は、新潟県(越後国)のご門徒から寄進されたもので、長さ69m、太さ約30cm、重さ約375kgです。


大橇(おおぞり)

大橇は、新潟県刈羽郡より切り出した木材を運ぶ道中、1883年(明治16)年3月12日、同県中頚城郡尾神嶽にて雪崩に遭い、27名の死者、50名以上の負傷者を出した事故の際に使用されていたものです。現在、尾神嶽を見渡す場所に報尽碑が建てられています。
大橇は1961(昭和36)年、同県刈羽郡石黒村の田辺重栄・重五郎氏より寄進されたものです。


御影堂の大虹梁(だいこうりょう)

大虹梁は、堂内の外陣・参詣席境の中央に位置し、左右の柱に大きく架け渡された梁で、御影堂で使用されている木材の中でも最大級のものです。長さ約14.5m、木幅(丈)1m以上もある欅(けやき)の大木です。記録によるとこの大虹梁は、新潟県の阿賀野川の川底から、数万人のご門徒によって引き上げられたものとあります。 何百年もの間水中に沈んでいたためにできた腐食箇所をできるだけ取り除き、その部分に木を埋め込み、その上から荒布を巻いて材自体の強度を高め、欅色(朱)の漆を塗って変色を隠し、木目などの飾り彫りを施して備え付けられました。
このたびの御影堂御修復でも当時の工夫を踏襲して作業が行われました。


法語行灯

東本願寺の東側、烏丸通に面したお堀沿いの芝生に、「法語行灯」が設置されています。京都市内では初となるソーラー電源を使用し、環境にも配慮しています。
それぞれの行灯には、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ、親しみやすい法語等が掲示されています。


瓦を使った休憩用のベンチ

境内白洲の南側には樹木が多く、また眺望も良いことから、日頃から多くの参拝者や近隣の方々の憩いの場所になっています。そこには、このたび、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業である御影堂修復工事で降ろされた明治瓦の再用化の一環として、瓦を使用したベンチを設置しています。その他にも御影堂前の噴水花壇の周辺、渉成園の休憩スペース周辺の修景材として、明治瓦が再利用されています。参拝される方に瓦再用化の具体的な取り組みに触れていただくことを願っています。

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