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- 想いを越えて願われている私 [2011.2.17]
- 白山 勝久(東京教区通信員)
報恩講は、宗祖親鸞聖人と念仏の教えへの報恩感謝の集まりです。それと同時に、私たち自身が教えに触れるご縁をいただく場です。報恩講では、法要とともに必ず仏法聴聞の時間があります。皆が一堂に会し、仏法聴聞するのが本来の姿です。しかし、報恩講を準備する立場になると、報恩講当日は教えを聞く場に身を置くことが難しいものです。
去る2010年12月21日(火)、東京教区報恩講事前学習会が真宗会館において開催されました。この学習会は、教区報恩講のスタッフである寺族・門徒が、毎年1月に開催される教区報恩講に先立って仏法聴聞する場です。学習会のご講師は、報恩講に出講いただく先生にお願いしています。事前にお話を聞くことを通して、報恩講当日は仏法聴聞の場に身を置くことが難しいけれど、参詣される皆様とともに報恩感謝の気持ちで、報恩講をお迎えすることができます。
本年度の東京教区報恩講の講師は、楠 信生住職(北海道教区 幸福寺)です。楠先生は、テーマである「今、いのちがあなたを生きている-真のよりどころを求めて-」について、「御遠忌テーマの大事な点は、この私が、想いを越えて願われている。そのことに気付いてほしい。テーマを答えにしてしまってはいけない。自分自身の問いとして聞いて欲しい」とお伝えくださいました。
働く場を追われ、帰る家も、頼る身内も、語り合う仲間をも失った人たちがこの日本に数多くいます。2010年、このような社会状況が「無縁社会」と言い表されました。つながりが希薄になった今の社会を、私たちはどのように生きていけばいいのでしょうか。
「無縁社会」と呼ばれる社会状況に対し、先生は「無縁法界」ということばを教えてくださいました。仏教に照らすと、「無縁」とは本来、相手に対して一切条件付けをせずに関係を持つことを意味します。無差別平等の世界なのです。
私たちは、「つながり」や「関係」が大事だと言いながら、相手に対して条件付けをしています。条件に合えば関係を保ち、条件に合わなければ関係を断ってしまいます。結果、仲の良い者同士、気の合う者同士でつながりを持てるようになるのかと思ったら、孤独になってしまった。このことは、相手の問題ではなく、自分自身を見失っていきている私の姿を表しています。
さまざまなご縁をいただいて、今の私がいます。決して(孤独という意味での)無縁ではないのです。条件付けする必要のない、いえ、条件付けされていないいのちを、今、わたしは生きています。
何の条件付けもない願いに、誰もが包まれていたという自覚があるとき、そこに無差別平等の世界が開かれていきます。
御遠忌テーマから、願われて生きている私であったという気付きをいただきます。その気付きを通して、報恩感謝の念仏が出ます。報恩講は、宗祖親鸞聖人のご法要としてお勤めされますが同時に、仏法聴聞を通して、自分自身の姿が照らされます。報恩講は、実は聖人に出遇った一人ひとりのためにもお勤めされ続けているのです。このことは、七百五十回御遠忌をお迎えすることも同じです。聖人のための御遠忌をお迎えするつもりが、私たち一人ひとりのための御遠忌であった。この気付きが、御遠忌テーマを問いとして持ち続ける生き方へと歩みださせます。
2010年10月3日、奥羽教区秋田県西組の超光寺において、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会が開催されました。
当日は、参加者の方々の期待に胸躍るような表情が印象的でした。宗祖の教えをあらためて聞くことができる喜びに満ち溢れているようにも感じられます。
午前の部は、お待ち受け法要が勤まりました。初めに供燈が行われると、会場は荘厳な雰囲気となりました。七五三の喚鐘が鳴り響くと一気に会場は静まり返り、身が引き締まる思いです。その後、同組の僧侶が一堂に集って法要が厳修されました。会所寺院である超光寺の住職により表白が読まれると、この法要の意義、また、私達に問われているものの重さを感じずにはいられないようでした。『正信偈』の唱和では、熱心に勤行本を見ながら唱和するご門徒さんが多数見受けられました。真宗の教えが今でも生きているのを目の当たりにしたようで感慨深い気持ちになりました。
午後の部では、「はるかなる願いの讃歌」と銘打たれた、奥羽教区合唱連盟『無憂華』による演奏です。合唱が始まると法要の時とは一転し、ピアノの音色と合唱の歌声が会場を柔らかく包み込んでいるようです。参加者の中には一緒に口ずさむ人も多く見受けられました。全7曲ほどでしたが、最後には盛大な拍手が贈られ、会場を優しく包み込むようなハーモニーに引き込まれるようでした。
その後は高山教区の四衢亮氏により、『帰命無量寿如来 御同朋~つながり』というテーマで記念法話が行われました。唯円、覚如上人の人生についてや、さまざまな御消息から、報恩講や御遠忌の在り方についてお話いただいたのが心に残っています。後半ではスクリーンを使って山伏弁円(明法坊)の物語(紙芝居を参照しながら)が紹介され、内容も分かりやすく、非常に興味深いお話しという印象です。終始和やかで笑いも交えた記念法話は、参加者の方々にとっても自身の信心を確かめるだけではなく、宗祖の教えを後世に伝えていかなければならない責任とその有難さをいただく機会になったのではないでしょうか。
最後には『恩徳讃』を全員で斉唱しましたが、その響きはこの一日の内容がそこに集約されているかのようでした。四衢亮氏のお話しの内容にもありましたが、私達は宗祖親鸞聖人の教えをいただき、今一度「報謝」という言葉の意義を考えていかなければならないのではないでしょうか。
(奥羽教区通信員 荒川秀志)
2010年9月28日、岡崎教区赤羽別院において「2010年秋公開講演会~人間成就~」が開催されました。
第1回になる今回は、大谷大学教授の一楽真氏をお招きし、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」、サブテーマ「無量寿に帰す」について講演いただきました。
満堂の中、講演会に先立ち浅野怜輪番より、「素晴らしいご縁を共に頂いた皆様と、最後まで聴聞したいと思います」と挨拶がありました。
一楽氏は、サブテーマである「無量寿」という言葉を手掛かりに講演を進められました。「無量寿」とは分量で測ることのできないいのち、長いとか短いでは測れないいのちのことであるが、普段私達は無量に対し有量で物を見る癖がついている。役に立つか立たないか、もっと言えば生きる価値があるか無いか。便利なことが本当に良いのか、不便なことがだめなのか、大事なことを忘れているのではないか、と自分自身の経験や日々学生達と触れ合っていくなかで感じられたことなどを交えて語られました。
そして、人はものさしで測れないものを一人ひとり持っており、人と比べて自分の人生を測って比べていたら何を手に入れても満たされない。ものさしで測ることのできない世界・いのちを無量寿という。無量寿に出会えば、ものさしから離れた生き方に目覚めることが出来る、と語られました。
最後の質疑応答では、講演の内容に対する質問をされる方や、講演を聞いた感想を自分自身の思いと共に語られる方など、最後まで活気のある講演会となりました。
また、赤羽別院では、10月15日から17日まで報恩講が勤められ、最終日には74年ぶりに御門首御親修によるお待ち受け法要が厳修されました。
今回の講演会のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」を深く考え、学ぶことで、いよいよ来春に厳修される御遠忌法要に向けて、ご門徒や僧侶の意識もますます高まっていくのではないだろうか、と感じる講演会となりました。
(岡崎教区通信員 天野健太)
大垣教区では長年にわたり、毎月18日に「大垣別院仏教公開講座」を開催しています。
毎年、テーマを決めて開催していますが、
ここ3年間は御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を全体テーマとして掲げています。
それは、講師の先生や聴講者、スタッフと共に御遠忌テーマに親しみ、考えていこうという願いからです。
2010年度の第1回目として、7月18日に筑波大学名誉教授の今井雅晴先生の講座が開催されました。
講題は「親鸞聖人と恩徳讃」です。先生は、現在、真宗文化センター所長をされており、
親鸞の伝記、家族、門弟との関係に焦点をあてて研究しておられます。
先生からは、私たちが常識と思っていることを打ち破る視点と歴史学からの検証が次々と表現され、
大変新鮮な感覚で聴講することができました。
講座では、主に次のような内容が話されました。
真宗が他の宗派と違うところは、「恩徳讃」を日常的に唱和しているということです。
それは、念仏を「報謝」で説明するということです。
感謝の日常を送り、報謝の念仏をすることで真宗の教えは800年続いてきたのでしょう。
実は、鎌倉時代は感謝という言葉はあまり使われておらず、報謝という言葉が日常的に使用されていました。
報謝というのは、恩を受けたら必ず物かお金で返す、もしくは態度で表すということで、
心の底から恩を感じて、阿弥陀様のため、誰かのために尽くすのです。
このように、鎌倉時代の報謝には、現代の感謝とは違う意味があります。
つまり、恩徳讃は行動をともなわなくてはならないということです。
それでは、報謝が布教にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。
人間は、理屈ではなかなか動かないと言われますが、ではどうすればいいのでしょうか。
私たちは、相手に気持ちを受け止めてもらえると、先に進むことができます。
専修念仏は、「他の教えに振り回される必要はなく、
お念仏をとなえれば阿弥陀様が浄土に救ってくださる」という教えですから、
多くの人たちが吉水に駆けつけました。そこで教えに納得しただけではなく、
親鸞聖人は法然上人に自分の苦しみを受け取めてもらえたと感じたから、この人についていこうと思われたのでしょう。
歎異抄にあらわされているように「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、
念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」
(『歎異抄』第2条/真宗聖典627頁)と本当に思われたのでしょう。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」
(『正像末和讃』/真宗聖典505頁)の恩徳讃では、報謝をあらわしていて、
親鸞聖人が本当に人のために尽くそうと考えられていたことがわかります。
報恩の心を持って生きることは、感謝をして生きることです。
何かの時に必ず恩返しをするという態度は理屈ではありません。
人から恩を受けて心から恩を返そうということに、人々は本当にそうだと心を動かしてきたのでしょう。
そして、そこにお念仏の教えを大切に聞いてきたのでしょう。
今井先生は最後に、若者たちへのメッセージとして、
「人と人との関わりの中で自分の生きる道を決めていこう」と述べられました。
講演の後、先生に少しお話を伺うと、この御遠忌を機に宗門の関係大学で、
「鎌倉時代の真宗」や「親鸞聖人の伝記」を詳しく研究される方が生まれる事を願っているとおっしゃいました。
私はこの公開講座を聞いて、念仏を相続された人から人へ、そして、
今現在の私にまで親鸞聖人の教えが伝わっていることを感じ、深く感動しました。
そして、恩徳讃を大切にする生活をしていきたいと感じることができました。
3月10日(水)と11日(木)の2日にわたり、三重教区坊守会による「真宗門徒女性の集い」が開催されました。
10日は桑名別院、翌11日は高田派本山の高田青少年会館を会場に、合わせて300名近い寺族と門徒女性の方々が参加し、両日、講師の本多雅人氏(東京教区蓮光寺住職)から御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」についてのお話に加えて、教区の合唱団「ひかり」の団員の指揮による御遠忌ソングの合唱など、坊守スタッフの趣向が盛り込まれた集いとなりました。
講義では「御遠忌テーマにどのように応答されていますか」と問題が提起されました。
本多氏は、「「浄土を真のよりどころとして生きる」をサブテーマとして提出したのは、皆さん(主催者・参加者)が「真宗門徒女性の集い」に集う「真宗門徒」を名のっておられるからです」といわれました。
そして「浄土を真のよりどころとして生きる生徒」のことを「(浄土)真宗門徒」とおさえられたうえで、はたして私たちは本当に浄土をよりどころとしているか、ということを問いかけられました。
自分の思いどおりになることが「幸せ」として生きている現代人にとっての救いは、困ったことが解決することでしかありません。しかし、現実は解決しない問題が多いわけです。私たちは老病死の身、病む身、老いる身、死すべき身を生きています。だから思い通りになることが幸せならば、それに立脚した希望は必ず「絶望」になってしまいます。その思いにふりまわされている世界は六道という穢土ですが、その人間の思いを破り、どんな状況であっても、無条件にこの私の存在が尊いと、我が身を引き受けていく世界が「浄土」だと表現されました。それは思いがひるがえってみれば、人間誰もが心の奥底で願っていることであるから、人間の本当の願いを呼び覚ます本願がはたらく世界が浄土であると言われました。現代はその浄土を見失ってしまったが、いつの時代においても人間の苦悩に、常に本願が寄り添ってきた本願展開の歴史に参画してみれば、現代の私たち誰もが本願がはたらく浄土を求めている時代であり、存在であるといわれました。
また、「今、いのちがあなたを生きている」という御遠忌テーマは、真宗門徒にしかわからない言葉を用いずに、すべての人に呼びかけられています。このテーマに対して三重教区は「共に、大地に立たん」と応じていますが、それは本願が呼びかけている苦悩の大地に立つという宣言ですし、真宗門徒だけでなく、あらゆる人びとに「いっしょに苦悩の大地に立とうよ!」という呼びかけでもありましょう、と教区のテーマにも応答されました。
私たち一人ひとりに問いかけている御遠忌テーマに対して、私はどう応答していくか。このことが御遠忌を迎える真宗門徒に呼びかけられている願いであり、課せられた責任ではないかと感じました。
(三重教区通信員 米澤典之)
大垣教区第八組では、揖斐地区、池田地区、春日地区の三地区で「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会」が、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」をテーマに開催され、それぞれ個性ある大会となりました。
大会では、稲葉組長が挨拶で、「限りある人生をいきいきと生き抜いていく依り処を見つける場所がお寺です」「この大会では、参加者、門徒、僧侶が共に同朋唱和をし、御遠忌ソングを合唱することで、親鸞聖人の遺徳を讃嘆する心を表現してほしい。そして共に聞法して真宗のお寺の本来あるべき姿を回復し、一人の念仏者の誕生を念願する」と、御遠忌は大切な親鸞聖人のご法事であることやお待ち受け大会を開催する趣旨をわかりやすい言葉で伝えられました。
11月6日(金)、揖斐地区の会場である大乗寺では、長浜教区の秦信映先生の記念講演がありました。講題は「つながりあって生きる幸せ」でした。ユーモア溢れるお話の中、「幸せを限りなく求めつづけている私たちの求めている幸せとは何か。どうなることが幸せなのか」と問われ、「自分の都合どおりになる世界を幸せだと思っている私に、心の大転換が必要だ」「仏の智慧というのは、自分以外の力(他力)で生かされている、命もいただきものであるという気づきであり、そのとき、自分の眼がひっくりかえる。自分の身の事実に気づけばどんなにつながりあって、支え合っている私かが見えてくる」と語られ、また「真宗門徒は、親鸞聖人と一緒に歩みたいと願っていながら、実際は背いてきた。御遠忌は慚愧のおつとめで、お詫びの御遠忌をつとめるのだ」と話されました。
11月13日(金)の池田地区会場の正光寺では、高山教区の三島多聞先生が記念講演をされました。講題は「念仏成仏これ真宗」です。三島先生は「自分の心が、鬼を拝んだことになっていないか」と問われ、「仏教がわからんのは、日頃のものの考え方の延長上で念仏を考えているからわからないのである。念仏は我らの日常生活の価値観とは、全然ちがう」「神と仏、鬼と念仏はどう違うのか、違いをはっきりせよ」と話されました。
11月14日(土)は春日地区会場の明随寺にて、春日地区の住職および若院9人による『親鸞聖人御絵伝』絵解き法話がおこなわれました。この地区には、教如上人ゆかりの寺院があり、今も「顕教踊り」「五日講」などにより、上人のご苦労が大切に守り伝えられています。
しかし、過疎化が急速に進行し、仕事の都合で地元を離れて生活している僧侶が多く、この絵解き法話は、ご門徒との顔つなぎや若院においてはお話をする勉強にもなりました。
また、三地区とも仏教讃歌や御遠忌ソングを参加者全員で合唱しました。特に「なんまんだぶつの子守歌」はどの地区でも親しみをもって歌われ、皆、自分たちが聞いたおじいさん、おばあさんのお念仏の声を思い出されているようでした。
大会の最後の挨拶で、池田地区の正光寺の若い住職は「今日、おまいりされて、感じたことを、お家の方やお友達に伝えてください。もしも、感じたことを忘れたり、わからなくなったとき、お寺にきてください。そして何度も何度もお話をきいてください。また感じたことを自分ひとりのものにせずに語り合ってください」と話されました。
大会期間の参加者は3会場合計で約500人となり、どの会場も満堂となりました。大会は会場寺院の報恩講の一座をお借りする形で行われました。どの寺院も、お荘厳のなかでひときわ目にとまったのは、松の仏華でした。今では、山でも、松の花材は少ないと言われているなかで、力強い仏華に感動しました。今日まで受け継がれてきた仏華をたてる技法の伝承と、相続されてきた念仏信仰のあらわれだと感じました。
2009年8月27日、豊田市民文化会館において「岡崎教区第24・25・26組合同 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会」が開かれた。
この大会は、毎年この3ヵ組で取り組んでいる夏季講習会を兼ねており、始めに本山の杉浦参務の挨拶があり、引き続き物故者追弔会が勤められた。
大会のメインである講演会では、講師の青木新門氏が、「いのちのバトンタッチ ~今、いのちがあなたを生きている~」をテーマに約1時間半話された。
青木氏が、2009年アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」に影響を与えた『納棺夫日記』の著者ということもあり、講演会のチケット500枚は完売で、当日もほぼ満席と盛大であった。
青木氏は紹介されて舞台に姿を見せると、始めに正面の南無阿弥陀仏の名号に合掌し話を始められた。また、休憩や退出の際も、舞台から離れる時は必ず合掌をされていたのが印象的だった。
講演では、テーマである「いのちのバトンタッチ」について、映画「おくりびと」の主演俳優である本木雅弘氏とのエピソードなどを交え、「人は必ず死んでいく。だからこそ、その死をまっすぐ見つめることを通して今、生きていることをいただく」ということを伝えられ、少年時代の経験や身内の死、納棺の現場での出来事を通して自らが親鸞聖人の教えに出遇ったこと、仏教が今を真実に生きる道を説く教えであるということの受けとめを語られた。
講演終了後、第25組の黒川門徒会長の挨拶があり、全員で恩徳讃を斉唱し、お待ち受け大会を締めくくった。
取材を通し、講演会を聞き終えた参加者の満足そうな顔も印象的だったが、3ヵ組のお寺が一丸となってこのお待ち受け大会を成功させようという想いが伝わってきた。
(岡崎教区通信員 天野健太)
2009年5月31日、第40回能登教区同朋大会が能登教務所において開催されました。テーマは「今、いのちがあなたを生きているーほとけさまに遇うー」。
能登教区は教区御遠忌テーマとして「ほとけさまに遇いにきたいのち、今 ともに生きよう」を掲げていますが、同朋大会開催にあたりスタッフとして関わられた企画委員の方の話し合いの中から、大会のサブテーマとして「ほとけさまに遇う」が生まれました。
当日は約800人の方が能登半島各所から参加され、本堂に入りきれず、別室には大きなモニターが設置されました。開会式では開催にあたっての趣旨文が読まれ、このテーマに込められた願いが参加された方々に伝えられました。 その後に講師の蓑輪秀邦氏(福井教区・仰明寺・前住職)の講話へと続き、「ほとけさまに遇う」というテーマの「ほとけさま」とはいったい何なのかということから始まりました。 「私たちは「さま」という言葉を自分にとって大事な物に対してつける文化をもっている。いのちをいただいたという感覚、ここから「ほとけ」が「ほとけさま」という言葉になり、ここから人間としての本当の歩みが始まり、この人間としての本当の歩みは仏道を歩むということである。また、仏道を歩むということは、人間として自立すること、いのちを尊敬しともに生きることが中心である」と語られました。
午後は4人の門徒さんの感話から始まり、蓑輪氏の講話を聞いて、毎日の生活やこれまでの経験を通して感じられることをお話しされました。感話を受け、最後に蓑輪氏から再び講話がありました。その中では「私たちが生きている現実社会の中では聞思ということが大事になってくる。ただ頭で理解するのではなく体でうなずく事や感動をもって生きていくことである。また、御遠忌を迎えるにあたり、私たちにとって親鸞聖人は上の方に奉る人ではなく、一人の人間として出遇う人である」と語られました。
取材をさせていただいて、能登半島地震の復興や過疎化、また参加されている方の多くの方も高齢者であるという現実の中、約800人の方が参加された熱のある同朋大会となり、私自身も大切な問いをいただいたように感じました。
(能登教区通信員:落合崇史)
2009年東京教区「親鸞聖人につどう同朋大会」が、去る2009年5月30日文京シビックホールにおいて開催されました。テーマは、「今、いのちがあなたを生きている-真のよりどころを求めて-」。
当日は、教区内の坊守・門徒・住職の3名による感話と、大江憲成九州大谷短期大学学長による講演がありました。
「私が本当に悲しいときは、全人類が悲しいということ。過去に既に死んでしまったところの無量無数の先祖が悲しい。また、この世に生まれるところの未来永劫の子孫が悲しい。本願を信じ念仏申すということは、この身が子々孫々を代表して念仏申しているということ」。こころに残る曽我量深先生の言葉を紹介してくだった坊守さま。
「これ以上なにも持てないほど大切なものを両手に持っている。そんなときに目の前に差し出されたのは、ただの水。両手に持っているものを手放してまで手にしたいとは思えないただの水。あるとき、自分ではどうすることもできない不安・恐れ・焦りを感じるときが来る。そのとき、あれほど輝いていた宝物が光を失い、ただの水が光を放つ。私に水を差し出してくれていた人の微笑みに会いたい。ただそれだけのために歩き始める。私にとってお念仏とは、ただの水のような気がします」。念仏との出遇いを自分のことばで表現してくださったご門徒。
「私たち一人ひとりのいのちは、“先祖遺産”のいのちではないかと思っています。一人ひとりの存在は、先祖遺産の相続をしてきた証。生かされているということは、この相続を実行中ということ。四苦八苦・煩悩そのものも相続しています。親鸞聖人がいただいた教えや、念仏の相続人でもあります。固体としてのいのちと、願われているいのちが、同時相続進行中です。先祖遺産を相続しているこのいのちを、念仏とともに力強く相続実行していこうではないですか」。いのちを、先祖遺産のいのちとしてお話してくださったご住職。
「念仏に出遇うとは、念仏に生きた方々の声に出遇うということです。親鸞聖人の750回忌をお勤めする意味は、過去に亡くなられた方も、未来からこの現在に向かって呼びかけて止まない。この私ひとりのために呼びかけてやまない。その呼びかけに聞いていこう。出遇っていこう。未来は、閉ざされていく未来ではなくて、開かれていく未来であります」と、大江先生はお聞かせくださいました。
感話・講演の内容はさまざまですが、その根底には、教えがこの私に届いたという喜びが溢れています。「今、いのちがあなたを生きている」…テーマの意味を理解することに気をとられていますが、その必要はありません。教えに出遇えた私自身が、テーマそのものなのではないでしょうか。先往く人のおかげで教えに出遇い、私を通して教えに出遇う人がいる。御遠忌を縁として、教えの相続の中に身をおいている事実を感じます。
(東京教区通信員:白山勝久)
名古屋教区第25組同朋大会が、去る2008年11月1日西光寺(愛知県海部郡蟹江町)において開催されました。
今大会は、2009年11月3日に予定されている同組のお待ち受け大会、そして2011年の「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」に向けての「決起集会」と位置づけられ開催されました。
大会テーマは「今いのちがあなたを生きている―本願を仰いで生きん―」。このテーマについては、組のスタッフと今回の講師、真城義麿氏(大谷中・高等学校長)との話し合いの中から生み出されたものです。「宗祖の御遠忌を迎えるにあたり、私たちにとって何よりも大切なのは、本願に生きる念仏者が生まれることである」。そのことを確認するための機会として、組内の住職・若院会・坊守・寺族・組門徒会・組同朋の会「しんわかい25」が一つになり企画・準備が進められ、当日は170名の参加者で会場は立錐の余地がないほどににぎわい、組全体で宗祖の御遠忌をお迎えしようという雰囲気がみなぎっていました。
講演で真城氏は、科学文明によって便利な生活環境を享受している現代ではあるが、同時に人間をモノとして役に立つかどうかだけで見る社会になってしまっていることを様々な社会事象から説明され、いかに自分中心の思いが闇を深くしているか、自分中心の思いがどれだけ不確かなものであるか、そして真に人間として生きることにおいて本願念仏に目覚めることの大切さを語られました。
第25組では、2009年11月3日、お待ち受け大会を名古屋別院で開催し、帰敬式を執行することになっています。帰敬式を受けて法名を名告ることによって、自分中心の歩みから真に人間として生きようとする、その大きな動きが始まったことを感じる大会でした。
(名古屋教区 竹原駐在教導)

- 求道会館

- 輪読の様子

- 座談の様子
去る2008年10月30日(木)、求道会館(文京区本郷)において東京教区青少年部主催の輪読会が開催されました。真宗大谷派教学研究所発行の『教化研究』と出版部発行の「同朋新聞」を輪読しています。
会の進行内容は、輪読・事前に当てられていた発表者による感想・座談。当日はスタッフも含め14名の参加があり、二班に分けて座談を行いました。
今回は、『教化研究』138号(特集「今、いのちがあなたを生きている」)所収小川一乗氏「「いのち」とは何か」と、「同朋新聞」の雨宮処凛氏への取材記事「人間といういのちの相」を輪読しました。『教化研究』を輪読する前は東本願寺伝道ブックス56「今、いのちがあなたを生きている」(延塚知道氏)を輪読していました。
御遠忌テーマである「今、いのちがあなたを生きている」に関する著作を輪読してはいますが、テーマの解題が輪読会の目的ではありません。
輪読・発表を終え、座談が始まります。座談では、「今、自分のいる場所をどのように生きるべきか」「どのようにしていくべきか」「どうすれば、人の集る場となるのか」という声が聞こえてきました。想いは人それぞれですが、みんな自分の「居場所」を求めているように感じました。悩みの吐露のようにも聞こえるかもしれませんが、普段の生活の中から湧いてくる想いは、いのちの声なのです。座談では、個々の内にあるいのちの声が聞こえて来ます。自分の想いを語るだけでなく、人の想いを聞くことを通して、誰もが「居場所」を求めて苦しんでいるんだという姿が見えてきます。「今のままでいいのか」「これからどうあるべきか」。それぞれの生活をしながら、根底では共通する想いを生きている。座談を通して感じることができます。
「居場所」を求めていることに対して、答えは出ません。しかし、「誰もが居場所を求めている」現実を知ることによって、いのちの実相を感覚するのではないでしょうか。この青少年輪読会を通して、人それぞれの生きる姿が見えてくる。自分も含めて。そこに、“今、いのちが生きている” 現実を感得することがあるように感じました。
御遠忌テーマは、想いを抱いて生きている私の姿を映し出しています。
(東京教区通信員:白山勝久)

- 勤行の様子

- 講演の様子

- 講師 川村妙慶氏

- 併設された託児所の様子
第24回京都教区湖南地区同朋婦人の集いが、去る10月1日滋賀県栗東市栗東芸術文化会館において開催されました。
この同朋婦人の集いは、湖南地区の各寺坊守・門徒同朋婦人委員が中心となり、地区教化委員会の協力のもと、今年で24回を数えます。
13時からの開会式には400席の中ホールはほぼ満席となり、会場には熱気が感じられました。勤行、地区教化委員長の三品正親氏に続き、京都教務所長髙山芳文氏より「時代社会の中にあって、我々が本当にどこに立って生きるのか?
それが御遠忌テーマに込められた願いではないだろうか。現代の様々な課題を通して学びを深めていただきたい」との挨拶の後、講師の京都教区山城第2組正念寺坊守の川村妙慶師より、「今、いのちがあなたを生きている」をテーマに講義がありました。
講義は、日常生活を手がかりに、人間の生き方、在り方を問うものでした。川村師は「自我意識」ということに注目され、「様々な人間関係を生きる私たちが仏教から教えられることは、『一心同体』ではなく『別心同体』であるということ。たとえ家族であっても夫婦であってもバラバラの思いで生きている。そこには我を張り合って、かたくなって生きている私たちの姿がある。しかしその我を切り離して生きるのではなく、我をもみほぐすことが必要であり、そのことを考えると、この御遠忌テーマは深い言葉である。『わたしがいのちを』となると我が強い言葉にしかならないけれども、『いのちがわたしを』となるとやわらかい言葉になる。かたくなった私のこころをほぐしてくれる言葉ではないだろうか。私をかたくなにさせているのは、他でもない私のこころであり、そんな姿を教えによって点検し、ともにお念仏をいただく人生を歩みましょう」と話されました。
講義後の閉会式では、内田みき子実行委員長より、「講師の流れるような話術と、胸に響く言葉、前向きに生きることの大切さを教えていただいた」と感謝の言葉が述べられ、今後より一層聴聞の輪が広がることを念じ、閉会の挨拶となりました。また会場には託児所も併設され、小さい子ども連れのかたも安心して足を運んでいました。
(京都教区通信員:藤川秀行)




























