• ホーム
  • 活動報告
  • 東本願寺 しゃべり場
  • 第77回 東本願寺しゃべり場
  • 活動報告

    • しゃべり場
    • ライブ・イン・浄土の真宗
    • 写真展
    • 子ども会訪問
    • 被災地から

    東本願寺しゃべり場

    第77回 東本願寺しゃべり場

    開催日 2011年9月13日(火) 午後7時~午後8時30分
    開催場所 青少幼年センター
    お話 池田朋行さん(青少幼年センター)

    私たちの日常生活とは、健康な人と健康な人との関係だけで済んでしまっていると言えるのではないでしょうか。 もちろんこれは、私の狭い自己中心の見方で、社会生活の一面しか見ずに、それを全てと思い込んでいる誤ったものです。

    誤りであるにもかかわらず、私たちの日常は、健康な人としか接しない、それ以外の人のことは意識にのぼらない程に狭いのだと思います。 実際、朝家をでて、夜帰るまでに出会う人は健康な人ばかりのようです。 そして私たちの社会は、そのことに何の疑いもないくらいに慣れてしまっているのかもしれません。

    そのためか、私たちは不具合を抱える人と共存できるように心を砕いているとは言い難く、不具合を抱える人が安心して社会の中で生活できるとは言えないようです。 ですから、そのような人の不便さとか、ご苦労などは少しも分からないのです。

    建物の出入口のところに、10センチ程の段差があったとします。 昨今のバリアフリーということで改善されている部分もありますが、スロープがない場合もあります。 私がそこを通ったとしても気にも留めないでしょうし、不便と感じることもないと思います。 もしかすると重たい荷物を台車に載せて運ぶ際に気になるくらいでしょうか。

    ではそこを車椅子の方が通過するとなれば、どうでしょうか。 偶然に介添えできる人がいればよいのですが、手伝える人がいなければ出入りすることができません。 このこと一つとっても、私の日常感覚というのは、自己中心のものの見方でしかありません。 ですから他人の苦痛など知るよしもありませんし、理解できないのです。

     

    近ごろ、甥っ子が手術をしました。 日頃は活発にサッカーをしていますが、家族と離れて一人で入院生活を送ったり、手術を前にした診察を受ける中で不安も募り、元気がなくなっていました。

    そして、手術を受けて完治するのかということも気になっている様子ですが、 練習を休んでいることでメンバーから外れてしまうこと、自分の代わりに友だちが活躍していることが、とても気になるらしく複雑な思いも沸いているようでした。

    私は、そんな甥っ子を眺めながら、きっと治ってまたサッカーができるようになると思うと言いました。 心のどこかでは、完治しないことだってあるかもしれないと思ってもみましたが、それでもサッカーの試合に出場してボールを追いかける姿が見たいと思いました。 しかし、それは同時に甥っ子がメンバーに戻れば、友だちが試合に出場できなくなることを意味します。 当然のことですが、甥っ子の完治を願い、復帰を待ち侘びるということは、代わりに出場していた友だちの落胆と隣り合わせなのです。

     

    これはお釈迦さまのお弟子さんで、目連と舎利弗という二人のお徳、お人柄についての譬え話です。 二人の優れた絵師がいました。 王さまは、どちらの描いた絵が優れているか比べたいということから、向かい合わせに大きな壁を用意させました。 一人の絵師は与えられた日にちを使って一心に絵を描き続けました。 もう一人の絵師は、何時になっても筆で絵を描くことはありませんでした。

    王さまは、見事に完成させた絵を見て、とても感心し、これ以上ない素晴らしい絵だと褒めました。 次に王さまは、向かい側の絵を見て驚きました。先に見たものよりも、さらに素晴らしい絵なのです。 しかし、何も描いていなかったのにどういうことなのでしょう。 絵師は言いました。 王さまが素晴らしいと思われた絵は、私が描いたものではありません。 最初にご覧になられた絵がこの壁に映っているだけです。

    一人の絵師は美しい絵を描きましたが、もう一人の絵師は、何も描かず向かい側の絵が映る程に壁を磨いていただけだったのです。

     

    一人は誰もが感動するような美しいものを作りました。 もう一人は美しいものを映しだす鏡、そのままに受け取ることのできる心を美しく磨いたのです。 これは、どちらが素晴らしいというような甲乙つけがたいということではなく、優劣という比較ではない、それぞれに尊いということを教えていると思います。

    自分なりに美しいものを作りだせるよう取り組むということは尊いと思います。 それは、ひけらかすようなあり方ではなく、真摯に取り組む姿勢が美しいと言えるようなことです。 また直接に美しいものを作りだせなくても、友だちの、目の前の美しいものを美しいと感じる心があれば、それは美しさを作りだすのと同じだということでしょう。

    このことから、甥っ子にとって、颯爽とグランドを駆け抜けることも素晴らしいことでもあります。 またメンバーから外れたとしても友だちのことを羨んだり、憎んだりするのではなく、グランドの外から友だちが活躍する姿を、 純粋に応援できるように心を磨いて欲しいと思います。 私自身も、甥っ子の姿に優劣をつけて一喜一憂することなく、どのような姿でも尊いと思えるようにありたいと思います。

    ▲ このページのトップへ