1.こころの世界

佐賀枝 夏文(青少幼年センター研究員)

「こころの形」

 わたしたちの暮らしは、良いこともつらく悲しいことも「こころの世界」のなかで営まれています。今日は、「こころの世界」について、ごいっしょに考え、味わってみたいとおもいます。

 ボクはあるお話の機会をいただいたとき、参加された方に「こころの形」を画用紙に絵で描いてもらったことがあります。普段ご自分のこころを絵に描くということはなかなかありませんから、みなさんにとっては初めての試みのようでした。出来上がった「こころの形」はそれぞれ違いました。ただ、比較的穏やかなこころは「まる」で表されていて、穏やかでないこころを描かれた方は「とんがり」を描かれていました。みなさんは、それぞれご自分のこころのあり様に納得されていました。

 その次に、ご自分の描かれた「こころ」の材質が何でできているかをお尋ねしました。みなさん共通していたのは「ゴム風船」のように伸びたり縮んだりするものと考えておられるようでした。確かにこころは伸びたり、縮んだりしているように思います。つらく悲しいときは、こころが小さく固まり動かないこともあります。

  普段、わたしたちはこころを「形」で描くことはありませんが、うれしいときは「表情」や「姿」、また、「声」として表現しているように思います。悲しいつらいときは「なみだ」が溢れ、すべての所作に「悲しい」が姿として現れます。楽しい、愉快なときのこころは受け入れやすく、悲しいつらいこころは受け入れにくいものでもあります。

「考える世界」と「感情の世界」

 わたしたちは、そんなこころをもって生きています。ボクは、こころと大変関係の深い「感情の世界」について長い間考えてきました。具体的には、ボクは少年時代に両親と別れたから「悲しいつらい」ことが多かったのだと考えてきました。ボクが苦しみ悲しい思いをしたのは、「捨て子」のような感覚が付きまとっていたからでした。だからでしょうか、人一倍「承認」されたい、「認められたい」気持ちが強かったようです。そのためにボクは「こころを殺して生きる」おとなしい、良い子として生きることを身に着けました。

 ここから先のことをお話しすることはいささか躊躇しますが、お話ししてみます。実は、ボクは親類縁者、友だちなど他者に対して、いかにも「良い子」でいることの裏返しのこころにある「腹立ち」の感情に苦しんでいました。

 外見はいかにも「良い子」「良い人」なのですが、その内側には腹立ちの感情を抱えて生きている「自分」がいました。腹立ちの感情が起きるときは、実にささいなことだったりもします。腹立ちがおさまれば、あまりにもささいなことに腹立ちを感じたことに情けなくなることもしばしばです。そんななかで「腹立ち」「怒り」の感情について考えたとき、あることに気が付きました。それは、「感情のスイッチ」はオンとオフを自分でコントロールできないということでした。

 「感情の世界」は「考える世界」でコントロールできないのです。ボクは、たいがいは「考える世界」の方が優位にあると考えていました。「感情のスイッチ」を考えてみると、人間は「考える世界」と「感情の世界」とふたつの世界をもって生きているのではないかと考えるようになりました。

 「感情の世界」のスイッチがオンになると、途中で止められないのです。世の中においても、コントロールできない感情がこころの包みを突き破り「行動化」したのではないかと思う悲しい事件や事故が報道されることがあります。

「自分をごまかさないで」と言ってくれた人

 「こころの世界」とボクの育ち生き方をお話ししてきました。周りから「自分」を認められたい気持ちが強く、外向けの顔は自分の気持ちを殺して「良い子」で生きてきました。だからでしょうか。モノを言わない窮屈な生き方をしてきました。やんちゃをしない育てやすい子どもだったようです。でも、こころは敏感で、思いが叶わないときにはやり場のない鬱屈した感情をもてあましていました。この外向けの顔と内に隠したやり場のない感情をもった実にやっかいな自分です。これは、子ども時代のことではなく、今のボク自身のことでもあります。

 なにごともなく暮らしていけるといいのですが、暮らしには実にさまざまなことがあります。あることで悩んでいたとき、親鸞聖人の言葉がボクのこころに届きました。

賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり、
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり
(「愚禿抄」/『真宗聖典』(東本願寺)435頁)

 ボクのこころに届いたのは、「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」という言葉でした。愚禿は親鸞聖人ご自身のことですので、ボクはこの言葉を「わたしの心は、揺れ動くこころがありましたが、外向けはいかにも大丈夫を装っているのです。」と読み解けたとき、自分の葛藤に共感してくれる人にやっと出会えたと思いました。それとともに、やっかいなこころを消すことや外見を作ることに腐心していたボクに「コントロールできない感情を抱えて生きていくのが人間なんだよ」と言ってくださっている気がして、今までの自分がすっかり許されたような感覚を味わいました。

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