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宗祖としての親鸞聖人に遇う

諸仏の声

(名畑 直日児 教学研究所助手)

十方恒沙の諸仏は
極難信ののりをとき
五濁悪世のためにとて
証誠護念せしめたり(真宗聖典四八六頁)

先日、ある聞法会に参加した時、ある方の今の聞法生活に至るまでの歩みを聞いた。自分の息子さんを亡くされ、その死をどのように引き受けたらよいのかに苦しみ、それまでの自分自身が保てなくなり、精神科の病院に通っていることまで話しをされた。そして仏教に解決の糸口を求めて話を聞いているということだった。しかし色々な法話等を聞いてもやはり難しいと話されていた。「難しい」にも色々な意味合いと響きがあるが、その方には苦悶の顔があった。そして最後に自分なりの教えの了解を話され、息子さんの死を何とか受け止めようとされていた。
私たちは、様々な出来事、友人、先生と言われる人と出会いながら生きている。出会いには様々なものがあり、そのすべてが意味のあるものとはなりえず、そのほとんどが不信感や猜疑心に覆われてしまうことだってある。その中で、たまたま出会った真宗の教えを通して生きる意義、喜びを得たいと求めている。
念仏といい、信心といい、このような宗教心が芽生えることによって私たちは、生きる意義を得るという。そしてその芽生えの事実を改めて振り返ると、そこには一切衆生を救わんとする弥陀の慈悲の深きことを知る。しかし弥陀の慈悲というがどこでそれを確かめることができるのだろうか。自分の中で作り出した「物語」にしか過ぎないかもしれない。
清沢満之は、「無限」(如来)との出会いを求めて歩んでいた。自分の頭で考え出した無限ではなく、病気をし、様々な批難中傷を受けるといった壮絶な人生の中でその出会いをかちとっている。さらに自分が経験したそれまでの人生を、無限との出会いという視点から改めて振り返っている。
教えとの出会いとは、言葉と人(「よき人」)との出会いにあると言われる。ここでいう「人」とは「事実」との出会いと私は受けとっている。言葉だけでなく、人との出会いにおいて、弥陀の慈悲が事実として働いていることを知る。そしてその出会いは、さらに他の様々な出来事等への眼を開いていく。自分の中で弥陀の慈悲を確かめるのではなく、出会おうとして出会えるものではないという偶縁によってこのような眼が開かれていくことが大事なことだといえる。
何も信じられるものがなくなったといわれる現代においても、不信感や疑い等を深く見つめると同時に、どこまでも深いところで出来事や人を信じる生き方が求められているように思う。そこにあらゆる事実を担っていく力、言うなれば空の手で担う力が与えられるように思う。

(『ともしび』2006年10月号掲載)

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