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宗祖としての親鸞聖人に遇う

笑い

(藤井 祐介 教学研究所嘱託研究員)

以前、一九四〇年代に刊行された妙好人研究について調べる機会があり、一つのことが気になるようになった。それは「妙好人伝の魅力とは何だろうか」ということであった。なぜ、複数の妙好人伝が語り継がれ、読み継がれてきたのか。
最初に思ったことは「魅力は不思議さにある」ということだ。妙好人伝は、どこか遠くの世界の物語のように思えるが、その遠さが不思議さを生み出していると言える。しかし、魅力の中でも大きな部分を占めるものは、不思議さよりも笑いではないだろうか。例えば、ある妙好人伝には、次のような話が見られる。

「庄松、京都の本山へ沢山の同行と共に参詣せられしが、其帰りに大阪より商船にて出発せしが、播磨灘へかゝりし時、思ひ掛けなき暴風雨となり、船は木の葉の如く浮きつ沈みつ、今や海の藻屑とならんとする勢なりしが、(略)上を下への大混乱中、庄松一人は舟底にて鼾高々寝てあれば、余りの度胸に不審を懐き、庄松をゆすり起し、「同行起きんか九死一生の場合ぢや、大胆にも程がある」と云へば、庄松、「此処はまだ娑婆か」と申された。」(「庄松言行録」、鈴木大拙『宗教経験の事実』新版所収、大東出版社)

笑いには幾つかの類型があるが、この場合の笑いは、緊張が急に緩和された時に生じる快の感情と言えるだろう。「ああ、どうなるのだろう……」という不安から、庄松の一言によって、読者は別の地平へと放り出される。そのような放り出された瞬間に生じる笑いである。このような笑いは単なる快の感情と言うよりかは、むしろ、読者に力を与えてくれるものと言った方が良いだろう。そこに妙好人伝が語り継がれ、読み継がれてきた要因があったと思われる。
このような笑いについて別の角度から考察するなら、例えば、何とも理解し難い現実を前にして生じる笑いもある。最近、十代・二十代の人たちの間で流行している映画『鉄コン筋クリート』には、登場人物の一人が絶体絶命という時にカラカラと笑う場面があった。どうしようもない現実に直面して、ただただ笑うのである。しかし、それは悲壮ではなく、新たな展開を予感させる笑いである。映画全体を通じて、とても印象的な場面であった。窮地に陥った時に発せられる笑いは、案外、力強いものなのかも知れない。

(『ともしび』2007年3月号掲載)

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