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宗祖としての親鸞聖人に遇う

聞思して遅慮することなかれ

(名畑直日児 教学研究所助手)

私は、現在、教学研究所に所属しながら、様々な研修会(奉仕団を含む)に関わらせてもらっている。研修は講義を中心に、攻究・座談が行われるが、ただそれだけの時間ではない。朝夕の勤行があり、そして食事がある。時間の合間の休みの時間もあれば、お風呂の時間もある。その時に、他の研修生やスタッフや講師の先生と触れあう時間がある。人と人とが触れあう時に、講義とは全く違う時間を過ごしながら、講義の内容の一部が、妙に「引っかかる」時がある。
最近では、他人と触れあう時間、機会が少ないので、こういう研修会で、他人と意見を交換し、話しあうこともまれなことであり、意見交換するだけでも「楽しい」と感じるという話も聞く。こういう話を聞くと時代の違いを感じる人もあり、「意見交換」で終わっては駄目だと一刀両断してしまう人もあるだろう。ただ、現代社会を生きる人間の感じ方の相がこういうところに表れているといえるのかもしれない。
このような研修会に参加すると、それまでの日常とは違う時間を過ごすことにもなり、そこで感じたことがとても強烈なイメージを伴う場合が多い。意見交換であっても、一つのテーマについて、これまで考えたこともないことが、自分自身のテーマとなって、新鮮に感じられるのである。
ところが、ひとたび、研修を離れてしまうと、そのテーマ、課題が、自分の中から消えてなくなってしまうのである。思い出そうとしないとなかなかはっきりしない場合がほとんどである。課題そのものは、日常を生きる自分と、かけ離れたものでなくても、その課題と向き合う自分自身が、どこか「外」を向いているのだろうか。言葉や表現の上で一つにつながっていても、そこを生きる自分自身と一つにつながっていないのである。研修中の、ある種の「興奮」というのは、その自分自身との接点をどこかで感じている証拠ともいえるかもしれない。それでも、課題が自分の中に生き続けることがないのである。

摂取不捨の真言、超世の希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。(「総序」聖典一五〇頁)

ここに「聞思」とあるが、それは、これまでの自分の思いを、一度、横において、聖教の言葉を聞いていく。そしてその言葉を今度は、自らの身にたずね、問いを見いだしていくという歩みを意味していると思われる。少なくとも自分自身に感じられた一つの課題に向き合っていくという意欲と同時に、それを包み超えて、求めしめる働きに帰命していくことが願われているのだろうか。遅慮なく聞思し続けていきたい。

(『ともしび』2009年4月号掲載)

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