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宗祖としての親鸞聖人に遇う

父の白服

(林 弘幹 教学研究所嘱託研究員)

昨年一月に亡くなった父の遺品を整理していた時、一枚のメモが出てきた。「住職退任新住職就任手続平成十四年十一月中完了目標本山認可登記完了」としっかりした字で書いてあり、メモの裏には「神経内科毎週水曜日のこと」と記してあった。思い起こせば、父に認知症の症状が出始めた頃であり、門徒さんを預かる身として住職の交代を早くしたかったように思う。
父の要望を受けて住職の交代について教務所に問い合わせたところ、あと少しで住職五十年になりますから、在任五十年の式典を受けられてから交代されてはどうですか、という勧めであった。父にそのように伝え、二〇〇五年(平成十七)四月に父と一緒に住職・教会主管者在任五十年の記念式典に参加した。父は係員からいろいろ指導を受けるが、記憶することが難しく、とんちんかんな行動をとりながらも、式典は無事に終了した。その時に本山の境内で撮ったスナップ写真が父の遺影となって居間に掲げてある。その翌年三月二十八日に住職を交代した。
思い返せば、父が三十四歳の時、母と私(小学一年生)と弟の総勢四人でここに入寺したのは一九五三年(昭和二十八)の冬だったように記憶している。戦死されて跡継ぎがいなくなり、老僧ひとりで寺をお守りされていた寺に入ったのであった。父は在家であったが縁あって得度を受けていたことにより、この寺を継ぐ身となった。
昨年三月、父の満中陰法要のおり、父が入寺した時分のようすを話す人がいた。その人は、「お父さんが入寺の時、挨拶に回ってこられた時の服装は引き揚げの人の服装だった。お父さんはいつも白い服を着て掃除をされていた。お母さんは腰が低く、いつも庭の掃除をされていた」と語ってくれた。父は寺という違う環境で生活を始めるにあたり、寺に入ったという自覚を高めるために白服を着用して頑張っていたのかもしれない。しかし、人々はそのように見なかったようだった。揶揄する声もあったと後に母から聞いた。
五十年という長きにわたり寺を預かるというのはたいへんなことだったと思う。昭和三十年代は農繁期に子どもを預かることもしていた。日曜学校も開いていた。その人たちが今は還暦も過ぎ、「ご縁さん」(住職)に「正信偈」を習ったので読めるのでありがたい、ということばも聞く。それにつけても、門徒さんを預かるという任務は気が休まるときがない。枕経の依頼はいつも突然やってくる。中陰中には何を語るか、ひと思案しなくてはならない。でも、父はしんどいとはあまりいわなかったように思う。
今回、父のメモを見つけて読んでいるうちに涙が出てきた。この数行のメモの中に父の思いがこもっているように感じたからだろうか。親鸞聖人が京から関東のご門弟を心にかけられる姿をお手紙を通して思うとき、ときとしてお寺を預かる住職の姿と重なるときがある。父の生涯を思い返して、あらためて聖人の姿がしのばれてくる。

(『ともしび』2009年6月号掲載)

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