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宗祖としての親鸞聖人に遇う

黒悪道に立つ

(梶原 敬一 教学研究所嘱託研究員)

親鸞聖人を宗祖として生きるということは、個人的には、自分自身の根源を、親鸞聖人の根源と一つにすることになるだろうと思います。それは、親鸞聖人という人の歩みの元と、私自身の歩みの元が一つであると確認することに他なりません。
この親鸞聖人の歩まれた道がいかなるものであったのかを、その言葉に残された、宗教心の歩みの中に確かめることこそ、この宗祖としての親鸞聖人に遇うことに他なりません。
その歩みを端的に示している言葉は、親鸞という名とともに愚禿という名告りであっただろうと思うのです。
愚禿は、言うまでもなく、流罪にあたって自ら名告られた名前であります。しかしその愚禿の名の意味は、むしろその愚禿をもって題号とされた『愚禿鈔』に示されていると考えてもよいのではないかと思います。
そういう意味で、親鸞聖人の歩みそのものを書き表されたものとして『愚禿鈔』を読み直すことこそ、この宗祖としての親鸞聖人に遇うことではなかろうかと考えています。
そうして『愚禿鈔』を見直していくと、道ということをめぐって次のような言葉が目に止まります。
それは二河譬の白道について述べられたところにある次のような言葉です。

「白道四五寸」と言うは、白道とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白はすなわちこれ六度万行、定散なり。これすなわち自力小善の路なり。黒はすなわちこれ六趣・四生・二十五有・十二類生の黒悪道なり。
四五寸とは、四の言は四大毒蛇に喩うるなり。五の言は五陰悪獣に喩うるなり。
(聖典四五四頁)

白道は、言うまでもなく穢土から浄土への唯一の道であります。しかしその白道を、白路と黒悪道の、路と道に分け、さらに白から黒悪を導き出すことで、白道は全く別の意味をもったものとして示されるのです。それは、一つは浄土に向かってひとり歩むべき路ということであり、もう一つは浄土から出て迷いの世界の苦悩の衆生に出遇っていく道という、二つの方向が示されているのです。
さらに四五寸を四大・五陰とすることで、この道が、私達が、与えられたいのちの形そのものの上に開かれたものだとされているのです。そしてそれが、黒悪として表現される、私達の生きる現実の苦悩そのものへとつづく道であると云われているのです。
親鸞聖人にとって浄土の教えによって歩まれた道は、この黒悪道としてつづいていく迷える衆生への道だったのだと思うのです。
そして私達が親鸞聖人を宗祖としていくことは、この私達の迷いへと歩みつづけられた親鸞聖人に出遇うことに他ならないのだと思うのです。しかしそれは同時に親鸞聖人の歩まれた道に同じく立つことに他なりません。私達もまたこの黒悪道に立つことこそ、宗祖に遇ったということなのではないでしょうか。
そして宗祖とともにこの黒悪道に立って歩みつづける先に広がる世界こそ、いのちの悲しみを共にする同朋の世界ではないかと思うのです。

(『ともしび』2009年7月号掲載)

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