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宗祖としての親鸞聖人に遇う

師の言葉とともに生きる

(林 弘幹 教学研究所嘱託研究員)

 近年、真宗門徒にとって最も大切な法要である報恩講でのお話を依頼されることが多くなった。ご法中方が報恩講のお勤めをされている間、私は控え室でひとり『真宗聖典』を読むことが多い。ご法中方の声明を聞きながら聖典を読んでいると、いつもより深く宗祖の言葉が響いてくる。そして、思いがけない発見をすることがある。
 ある日、宗祖が晩年に頻繁に使われる言葉があることに気がついた。それは師・法然上人からいただかれた「義なきを義とす」という言葉である。『歎異抄』に「念仏には無義をもって義とす」(聖典六三〇頁)という言葉が語られていることは承知していたが、聖人八十六歳のときに認(したた)められた『尊号真像銘文』にもその言葉がある。「他力には義のなきをもって義とすと、本師聖人のおおせごとなり。義というは、行者のおのおののはからうこころなり」(聖典五三二頁)と述べられている。また、関東のご門徒に送られた手紙にも「行者のはからいのなきゆえに、義なきを義とすと、他力をば申すなり。善とも、悪とも、浄とも、穢とも、行者のはからいなきみとならせ給いて候えばこそ、義なきを義とすとは申すことにて候え」(五九三頁)と書き記されている。
 晩年の親鸞聖人は何故にこれほどまで「義」にこだわられたのだろうか。そこには阿弥陀さまの誓願を「他力」という表現で伝えることにたいへん苦労されている姿が伝わってくる。言葉も絶え果てた世界を文字で伝えることの厳しさを知らされる。関東のご門徒に対して手紙という手段を用いて,なんらかの言葉で語らねばならない。宗祖は具体的に善、悪、浄、穢という私たちが立場として取りやすい事柄を示して、このようなことを「はからい」というと語られている。そして所々に散見される言葉は「ただ、仏にまかせまいらせ給えと、大師聖人のみことにて候え」(聖典五九三頁)である。若い頃に師・法然上人から聞いた言葉をいつも憶念され、生涯にわたって師の言葉とともに生きられた聖人の姿を思い浮かべる。  ひるがえって、私は先師から「法は法自身によって伝わる」というような言葉を聞いたことを思い出す。報恩講で貴重な時間をいただいて、仏法を語ろうとすればするほど上滑りしそうなとき、先師からいただいたこの言葉に安心し、「法」に託してお話を続けさせてもらっている。先師もまた、仏法をどのように語るか苦労されたのかもしれない。先ほどの言葉は、その苦労の中から生まれ出たものであるように、私は感じている。
 親鸞聖人が「他力」をいかに伝えるか、師・法然上人の言葉を繰り返し繰り返し、手紙に認めておられる姿を思うとき、聖人が師の言葉とともに生きられたことをあらためて感じる。
 宗祖親鸞聖人の徳を讃嘆する報恩講という場でお話をさせていただく身として、仏法が正しく伝わっていくか心配しつつ、聖人が師・法然上人から聞き取られた言葉をいつも憶念されていた姿を思いながら、お話をさせていただいている。
(『ともしび』2011年6月号掲載)

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