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宗祖としての親鸞聖人に遇う

慙愧和讃における宗祖の「かたち」

(蓑輪秀邦 教学研究所長)

  よしあしの文字をもしらぬひとはみな
  まことのこころなりけるを
  善悪の字しりがおは
  おおそらごとのかたちなり
  (『真宗聖典』五一一頁)

 右は、文明本三帖和讃の最後に載る二首の和讃の内の一つである。宗祖晩年(八十八歳のころ)の作で、通称「慙愧和讃」と呼ばれる。なぜそう呼ばれてきたのか、この和讃の不思議な魅力を思う。
 「よしあしの文字をもしらぬ」の「しらぬ」は古語で「付き合いがない」「関係がない」「用がない」の意。だからはじめの二句は、「善だ悪だというような尺度でものごとを決めたり選んだりしている生活には縁がない人は皆、まことの心をもっている」という意味。「まことのこころ」は「いつわりのない誠実な心」の意。
 昨年の十一月、本山の仕事で北海道に出向いた際、アイヌの人たちにお会いした。皆アイヌ差別と戦ってきた勇者であるが、ものの見方が柔軟で、特に自然に対する敬虔の念が深い。アイヌとはカムイに対することばで、アイヌは人間、カムイは神の意味である。「両者は紙の裏と表の関係で、もしカムイがいなかったらアイヌもいない。友達のような間柄です」と教えてくれた。そういえばアイヌ民族は文字をもたない。すべてカムイから「まこと」をもらってアイヌはアイヌ(人間)らしく生きているので、文字は不要なのだろう。
 都を離れ越後・関東において宗祖が触れた人々もそういう人たちだったに違いない。それは、夜明けと共に起き、外の空気に触れて今日の天候を知り、田畑に出て大地に汗して働く人たちであり、一日の仕事が終わると、夕日に向かって今日一日を感謝し、自然の恩恵に頭をさげる人たちであった。宗祖は、そのような人たちの「まこと」に感動すると同時に、今まで求め続けてきた仏道の歩みが、実際は善悪の文字づらにこだわり、その是非を競うという「おおそらごとのかたち(おおきなまちがいをしているすがた)」ではなかったかと気づかされたのであろう。
 しかし、「文字づらにこだわる」という「かたち」―書を著し、手紙をしたため、和讃を作り、あらゆる努力をつくして念仏の大道を人々に伝えようとする、その宗祖の「かたち」は晩年になっても変わらなかった。ただ、そのかたちが「おおそらごと」であることへの慙愧は、年とともに深まっていったに違いない。宗祖八十八歳の和讃と言われるこの和讃が「慙愧和讃」と呼ばれる所以ではないかと思われる。
(『ともしび』2011年11月号掲載)

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