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宗祖としての親鸞聖人に遇う

御遠忌をお勤めして

(鶴見 晃 教学研究所研究員)

   今年は大震災の年として誰の心にも銘記され続けるでしょう。そして、宗門に身を置く方は皆、震災に思いを寄せつつ、同時に宗祖の七百五十回御遠忌の年として、御遠忌を勤修して意味があったのか、御遠忌は何だったのかと考え続けていくに違いありません。
 かつて、ナチスの強制収容所を生き抜いたV・E・フランクルは、生きる意味を問うことについて、その問いの立て方の問題に言及しています。私たちは、人生に、あるいはさまざまな出来事に何かを期待します。そして、その期待が裏切られる時、私たちはきっと人生の意味を問い、何のために生きるのかと自問することでしょう。しかし、フランクルは、

  わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ(『夜と霧 新版』一二九頁、みすず書房)

と、人生から問われているのは自分の方なのだとして,問いの百八十度方向転換を説きます。そしてフランクルはさらに、

  生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。…中略…生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(同一三〇頁)

と続けます。人生から問いかけられ、答えを迫られているのは私であり、私がなすべきは課題を果たし、要請を充たす義務を引き受けることである、と教えるのです。
 このフランクルの言葉に、私は、宗祖の六角堂参籠を想起します。宗祖は、六角堂に参籠し、夢告を受けて、法然上人のもとへと向かいました。その夢告は、「あなたがいかなる存在であろうが関係ない、あなたが歩む仏道はすでにある、問題はあなたが仏道を歩もうとするかどうかなのだ」、そう宗祖に問いかけたのではないか。そしてそこに宗祖の問いに方向転換があったのではないかと思うのです。つまり、仏道はいかに自己を救うのかという仏道に対する問いから、あなたはいかに仏道に立とうとするのかという、自己に対する仏道からの問いへと転換があったのではないか。そして、夢告を得てすぐさま吉水に向かった宗祖に、私は、自己を引き受け、立ち上がった人間の姿を見るのです。
 私たちは、宗祖の七百五十回御遠忌をお勤めしました。御遠忌に何かを期待していた時は過ぎ、すでに御遠忌からの問いに答える責務を負っています。御遠忌をいかに引き受け、課題を果たしていくのか。その課題は、一人ひとり、生きる現場によって一様ではありません。ですが御遠忌は、立ち上がっていく契機を斉しく与えてくれたのだと思います。
(『ともしび』2011年12月号掲載)

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