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宗祖としての親鸞聖人に遇う

篤信者に学ぶ

(上場 顕雄 教学研究所嘱託研究員)

 日常生活の中で真宗の教えが生かされてはじめて念仏者であることはいうまでもない。単に知識として学ぶだけではない。
 小生は歴史分野を研究対象にしており、論文作成で史料調査をした中で感動した印象深い真宗の篤信者が何人かいる。現在も時に思いおこし考えさせられることが多い。
 江戸時代中頃、大坂商人に平野屋五兵衛(高木宗賢)という篤信者がいた。彼は大坂今橋一丁目(現在、中央区北浜付近)に住し、両替商(金融機関)を営んでいた。そこは当時、大坂商人を動かす二大銀行のひとつであった。もう一人は天王寺屋五兵衛で、双方とも今橋に居住し、「天五に平五、十兵衛横丁」と称された最有力両替商であった。
 平野屋五兵衛は大坂商人に影響力の大きい家職であり、一方で真宗信者として知られていた。彼は東本願寺(大谷派)初代講師の恵空に師事していた。
 恵空は教義・歴史・儀式・遺跡などの総合的著書『叢林集』九巻などを著した学僧で、俊秀な門弟を育成した高倉学寮の中心的人物である。当時、講師などの学僧は学寮内の安居で講義するのが基本であった。
 しかし、恵空は学寮以外でもたびたび法話を行った。先述の平野屋が施主となって天満本泉寺(現四条畷市)で、恵空を招いて法話会を毎年行った。宝永六年(一七〇九)より計六回である。
 大桑斉氏によると、学寮外での恵空の講話は本泉寺で合計九回、八尾別院二回、難波別院一回、長浜別院二回である。ほとんどが大坂あるいはその周辺であった。その法話会を催したのは平野屋五兵衛を中心とする大坂商人らであり、教学者を招いて自らの信仰深化に務めたのである。真宗を日常生活、職業生活に生かそうとしたのであろう。
 恵空と平野屋との接点は光徳寺(柏原市)である。平野屋は代々光徳寺門徒であり、光徳寺の支坊が大坂北久太郎町(中央区)にあった。恵空伝の信頼できる『恵空老師行状記』には、二十一歳から二十七歳までは不明朗で記載されていない。その期間、恵空は光徳寺でいわゆる役僧をしていたといわれる(暁烏敏編『恵空語録』)。
 恵空はおそらくこの時期に法務のかたわら、勉学に励み、一方で平野屋五兵衛と接触する機会をもったと考えられる。また、五兵衛も恵空の人柄、求道・勉学にとりくむ姿勢に共感し、支援したり師事したのであろう。
 五兵衛も商人道を形成する中で真宗に依った価値観をもって職業生活を実践したと考えられる。大坂商人の家訓に「商い」は「報恩行」として行うなどとある。
 五兵衛は大坂商人・大黒屋道誓とともに学寮の経蔵一棟を寄進し、広く教団の人材育成に尽力したことでも知られる。
 僧侶は篤信者・念仏者が育成されることを願い情熱を注ぐが、逆にご門徒が僧侶を育成することも多々あったことであろう。僧俗ともに真摯に教えを聞き学ぶというところに、門徒としてお育ていただくことをあらためて気づかせていただく。
(『ともしび』2012年1月号掲載)

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