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明易や

(名畑直日児 教学研究所助手)

明易や 花鳥諷詠 南無阿弥陀
(高浜虚子)

 六月下旬のある席で、この高浜虚子(一八七四~一九五九)の俳句を知る機会を得た。「明易」とは、夜が明けるのが早い、夏至前後の短い夜のことを意味する季語であり、ここでは、「短い明易い人間」(虚子談)を意味している(以下、『高浜虚子の世界』〈角川学芸出版、二〇〇九年〉他参照)。そして「花鳥諷詠」というのは、「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂」という、「客観写生」と共に虚子が提唱した俳句の理念である。この句は、虚子が八十歳の時(昭和二十九年)の句である。「明易」という季語を前に、自らの人生を思い起こす時浮かび上がる、花鳥諷詠と南無阿弥陀(仏)を詠み上げた句と思われる。
 高浜虚子は、正岡子規に師事したことが知られている。その子規との出会い、そして朋友の河東碧梧桐との確執、その後勃興する新興俳句との関わりという俳句人生を思い起こしながら、「俳句は『花鳥諷詠詩である』と断じた事は、私の一生のうちの大きな仕事であったと思う」という辞が示すように、虚子自身が出会った俳句が、この花鳥諷詠であったことがわかる。  この花鳥諷詠とともに,ここに南無阿弥陀仏がある。虚子は東本願寺の門徒であり、若い時には、暁烏敏、そして句仏上人(大谷光演)との出会いがある。虚子の辞世の句は、句仏上人十七回忌の時(昭和三十四年)に詠んだ、「独り句の推敲をして遅き日を」が知られている。あまり表に出ることはないが、虚子の俳句には、この南無阿弥陀仏への「信仰」があることが、これらの俳句によって知ることができる。
 俳句については初学の筆者だが、季節の移り変わりの機微の一つひとつに季語があり、その季語によって映し出される詩情の世界を、十七文字に表現する俳句のもつ魅力、形容しがたい力強さを感じるものの一人である。この花鳥諷詠とともに虚子は、「客観写生」を唱える。あらゆる主観を離れ、小さな感動をも消し去ろうとする姿には、厳しさが同居している。「俳句は沈黙の文芸であります」という虚子には、言葉を超えた沈黙を生きる姿があるように思う。このように主観を離れ自然を詠むということの中には、単なる自然賛美とは違うものがあると思うが、これからまた探っていきたいと思う。
 主観を離れ、そのままありのままに見ていくというのは、阿弥陀仏の心に通ずるものがあるようにも思う。そのままありのままというのは、その現象の根源を照らし出す光であり、あらゆる生死勤苦の姿を浮かび上がらせる眼差しだともいえる。そこに、本願を建立しようとする、不可思議なる法蔵菩薩の初一念の声がある。  六月のこの季節、虚子の大切な句を知る機会を得たことから感じたことを記させていただいた。

(『ともしび』2012年8月号掲載)

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