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宗祖としての親鸞聖人に遇う

「よきひと」からのメッセージ

(高間 重光 教学研究所嘱託研究員)

 「よきひと」というと、まず『歎異抄』第二章のお言葉が浮かんできます。親鸞聖人は師である法然上人からの言葉を

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」

と語られます。
 親鸞聖人が「よきひと」とおっしゃったのは、その師の言葉が法然という単なる一個人の言葉ではなく、本願に出遇い念仏申す身となった人の言葉であるという受けとめがあるからです。その言葉の背景には、第十七の本願による脈々と流れ続けている念仏の大行の歴史、そしてその大行に出遇っていった大信(信心)の伝統、すなわち親鸞聖人が『正信念仏偈』に歌いあげられ、顕らかにしてくださった浄土真宗の世界があるのです。
また親鸞聖人の『御消息』(聖典五六四頁)には

「それこそ、この世にとりては、よきひとびとにてもおわします」

というお言葉があります。ここでは、「よきひとびと」の前に置かれている「この世にとりては」という言葉が気がかりになります。「この世にとりては」という言葉で親鸞聖人は何を言おうとされているのでしょう。
 「この世」とは文字通り、私たちが人びとと共に現実に生きているこの社会のことでしょう。宗教が歴史的社会的現実に対してどう関わるべきなのか、宗教と政治の関係性、それはいつの時代においても大きなテーマです。聖徳太子の政治の背景には、『十七条憲法』に象徴されるように仏教精神がありました。対外的にも中国や朝鮮半島の国々と平和外交を展開されました。今日の安倍首相の国内外への政治姿勢には大いに危うさを感じている者の一人ですが、その姿勢の背景にも彼の思想と宗教観があるのでしょう。
 御消息のこの言葉は、聖覚のお書き物を勧められる言葉に続いて述べられたものです。聖覚の書かれた『唯信鈔』は、一二二一年の承久の乱直後に書かれたものですが、その大混乱については一切触れられていません。にもかかわらず親鸞は「この世にとりては、よきひとびと」と言われるのです。聖覚も親鸞もこの世の現実を無視されたのでしょうか、決してそうではないでしょう。
 親鸞聖人がこの世の現実にどのように向かい合おうとされたのか、その真意をくみ取ることは容易ではありませんが、真宗門徒はそれを見出し歩もうと努力してきました。真宗教団のこれまでの歴史的な歩みは、その苦闘の足跡とも言えるのではないでしょうか。
 同朋会運動の中で蓬茨祖運先生は大きな仕事をされた方ですが、「僧伽と還相」という講義(聞思の人・蓬茨祖運集上)で、

「教団僧伽というものは人であると言いたい気持ちがする。…念仏によって人間が自己を本当に回復できる。…そこから本当の僧伽をつくっていく。そのつくり方は、どこかに場所を求めていくのではなく、その人自身がなっていくのではないかと思う」

(一〇九頁)

と語っておられます。蓬茨先生のお仕事の背景にあるものが何か、そのことがいま想われます。

(『ともしび』2014年4月号掲載)

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