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宗祖としての親鸞聖人に遇う

「文化」の宗教

(安冨 信哉 教学研究所長)

 教学研究所の親鸞聖人行実班では、折々フィールドワークを行っているが、今年の四月下旬に、茨城県のご旧跡寺院を訪れた。私も一行(四人)の一人に入れていただいた。歴史家の今井雅晴先生がお忙しい中、私たちに同行して下さったのは、まさに幸運であった。それぞれのご寺院で、暖かいおもてなしを受けたが、伝承とされる記録の中に真実を感じとることができた。
 夜、ホテルの一室で、今井先生からご講義を受けた。長年の間、この地で生活し、実地に各所を回られた体験をもとに先生は、東国時代の親鸞聖人について、詳細に跡づけ、いわゆる通説を再考すべきであるとされた。それらの独自の見解はまことに刺激的であった。
 たとえば、真宗の受容層について、これまで様々な説が出されている。ある学者は、農民層といい、別な学者は商人層といい、あるいは漁猟民とする説が出されている。いずれもなるほどとおもわせるものがある。
 対して、今井先生は、親鸞が教化した人々を武士層とされた。いわゆる悪人正機説の立場から、親鸞の門侶を武士としたのは家永三郎氏である。先生は、『親鸞聖人門侶交名牒』に、その名に「住」と付されていることに着眼して、これは武士についていう言葉づかいであると指摘された。私は、大変に興味深い説であるとして拝聴した。
 では、親鸞は、この人々にどのように接したのであろうか。武士は、殺生を生業とする刀杖の人々である。とうてい刀を捨てよ、と説諭したとは考えられない。ただ刀を執る身の罪深さを痛まれたのであろう。
 残念ながら、親鸞聖人の態度を示した記録はない。ただ自ら害されるような危難に遭ったことは想像にかたくない。山伏から害されるような危難に遭ったというエピソードは伝えられている。山伏が山法師(山武士)と考えられるならば、弁円の逸話は、親鸞聖人の武力に対峙した姿を伝えてくれるように思われる。その箇所を一部引用してみよう。

聖人に謁せんとおもう心つきて禅室に行きて尋申すに、聖人左右なく出会いたまいにけり。すなわち尊顔にむかいたてまつるに、害心忽に消滅して、剰後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、有のままに、日来の宿鬱を述すといえども聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿衣をあらためて、仏教に帰しつつ終に素懐をとげき。不思議なりし事なり。すなわち明法房是なり。

(『御伝鈔』真宗聖典七三三頁)

 このエピソードには、親鸞聖人が力をもって相手をねじ伏せるのではなく、念仏の心をもって柔和に応対したありさまが感動的に描かれている。
 最近、武力をもって武力に対抗しようとする世論が強いが、真宗に帰依する私たちは、この故事に学ぶことは少くないのではないだろうか。武力をもってではなく、文徳によって相手を化するのが「文化」だと教えられたことがある。十一月三日の「文化の日」をひかえて、真の文化国家とは何かと考えさせられる。

(『ともしび』2014年11月号掲載)

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