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宗祖としての親鸞聖人に遇う

宗祖としての親鸞聖人

(花山 孝介 教学研究所所員)

 御遠忌の基本理念は「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ですが、親鸞聖人という名称の前に「宗祖」という言葉を置くことにどういう意味があるのでしょうか。
 「宗祖」という場合、そこには仏の法をさとり、仏道に立った人という意味があるのではないかと思われます。宗祖と、ただ崇めているのではないということ。そうすると、親鸞聖人が明らかにした同じ仏の法によって、同じ道に立った人々が生まれることによって親鸞聖人を「宗祖」と押さえることができるのではないでしょうか。
 しかし、もし、そうであるならば、仏道の準備すらできないものが、どうして仏道に立つことができるのかという疑問が残ります。
 そのことについては、親鸞聖人自身、私たちと同じ場に立って、その私たちが仏道に立つことのできる法こそ「弥陀の本願」であると教えられています。
 例えば、『歎異抄』第二条に、

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

 と語られる様に、親鸞聖人は法然上人との出遇いを通して、この念仏の法を確信されたのです。そして、この念仏が釈尊を仏陀成らしめた法と見出されたと共に、「ただ念仏」の法が、一切衆生を仏道に立たしめてきた教えであることを深く確信されたと言えます。そのことを表現されたのが、「正信偈」であり「和讃」や「歎異抄」等です。
 このことは、これまでの伝統的な仏教の歴史に対して新しい視点を見出されたことを意味していると言えますし、その仏教の歴史・仏道を「浄土真宗」と押さえられたと言えます。そういう意味では、親鸞聖人のご一生はこの「浄土真宗」という仏道を明らかにするために捧げられたご一生であると言えます。それは、仏道の準備すら整わないものが、それにもかかわらず、釈尊と同じ仏道に立つことができる所に「弥陀の本願」という法があるという表明です。つまり、それまでの仏教の歴史に隠れながらも、その中を貫いて伝わってきた「弥陀の本願」の教えを、親鸞聖人は数多くの著作・書簡などを通じて、今も私たちに繰り返し繰り返し語り続けておられるのです。その親鸞聖人のご苦労によって、私たちもまた仏道に立つことができるのです。宗祖に遇うとは私たち自身が仏道に立つということである。
 「弥陀の本願」「ただ念仏」という仏法を、人類の歴史のいのちとして見出し、人類の依るべき指標として「浄土真宗」と説き示しながら、共にこの道を歩もうと呼び続けているところに、「宗祖」としての親鸞聖人の大事な意味があると思います。

(『ともしび』2015年3月号掲載)

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