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宗祖としての親鸞聖人に遇う

(都 真雄 教学研究所助手)

 十七世紀はオランダ絵画の黄金時代であり、レンブラントやフェルメールの名がよく挙げられるが、風景画家としてはヤーコプ・ファン・ロイスダール(1628―1682)がよく知られている。彼の絵画を近くで見ると、とても微細な部分まで丁寧に描かれていて、その臨場感からまるでその風景の音が聞こえそうなほどである。
 彼の絵画は、近景は陰が濃く遠景は光に照らされ、絵の大部分を印象深い雲が占めていることが多い。そのほとんどは夜が迫っていたり、風が強そうであったり、あるいはこれから雨や嵐になりそうな不穏な気配を感じる雲である。そのためか彼の絵画を見ていると軽い胸騒ぎを感じる。しばらくすると私は決まって彼の絵を離れ、自分の心の動きや状態について考えてしまう。そして思い出すのは、親鸞聖人の「貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧」(『正信偈』)という言葉である。『正信偈』には次のようにある。

摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇(くら)きことなきがごとし。

(聖典二〇四頁)

この一段は『観経疏』「散善義」や『観念法門』などの善導大師の領解によったもので、現生十種の益(やく)の第六「心光常護の益」あるいは摂取不捨の利益(りやく)が述べられている段である。内容としては、私たちが常に仏の心光に照らされ護られているということ、そして仏によって無明の闇はすでに破られており、貪愛や瞋憎の雲霧が天を覆っても、仏の日の光はその貪愛や瞋憎の雲霧を越えてとどいているということなどについて、親鸞聖人は述べておられる。ただそのように光がとどいても、貪愛や瞋憎の雲霧が完全に消えて晴れることはない。つまりどこまでも雲が起こって曇り続け、時に雨や嵐にもなる。
 ここは様々なことを教えられる段であるが、随分、昔に初めてこの『正信偈』の言葉に触れたとき、天候が悪くても明るいということはありがたく思うものの、どこか釈然としない気分を私は感じた。結局、いつまでも雲があり、晴れ渡ることがないからである。しかし私はしばらくして次のことに気づかされた。つまり明るいということは太陽が出ているということであり、ならばどのような悪天候であっても、雲のうえには太陽がいつも変わることなく光輝いているということである。そのことは悪天候のなかではにわかに信じがたいし、その状態が長く続いている場合には夜のように思ってしまう。しかし雲のうえに太陽が光輝いているということは、人間の思いを越えた真実である。太陽があるならば曇や雨であっても、誰もが気づかぬうちに自然に照らされている。つまりこれは念仏の生活においても煩悩熾盛(しじょう)の身が、自らの思いを越えて仏によって常に照らされ護られているということである。このことについて聞思するとき心地よさよりもむしろ痛みや悲しみを先ず感ずるわけだが、今も私はこのことを『正信偈』から教えていただいている。

(『ともしび』2015年4月号掲載)

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