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(安藤 義浩 教学研究所研究員)

 「患者」という単語を和英辞典で調べると、まず出てくるのがpatient(ペイシェント)である。このpatientを日本語に直訳すると「耐える人」となる。痛みを伴う治療に耐える、納得できなくても医師の診断や態度に耐える。そんな患者の姿がpatientから浮かんでくる。そこには医師から患者への上から目線が感じられる。
 そこで提示されたのが、患者をclient(クライアント・顧客)とすることである。お客様なのだから、話をよく聞き、症状や治療の説明を十分にし、納得してもらわなければならない。いわゆるインフォームド・コンセントが、日本では約二十年前に医療者の義務として法律化された。かなりの前進と思われるが、clientだと、どこか事務的で血の通わない印象を受ける。
 そして現在、目標とされているのがpartner(パートナー)である。対等な立場で、お互いがお互いを信頼し、治癒に向かって「ともに」歩んでいくというあり方である。
 以上のような医師と患者の関係の変遷を参考にして、僧侶とご門徒の関係について考えてみたい。僧侶はご門徒を「わが門徒」と勘違いして、横柄な態度をとっていないだろうか。教えや儀式の意義について十分な説明をしなかったり、難しい言葉を並べたり、知ったかぶりをして、かえって迷わせてはいないか。そうすることによって、ご門徒は、人生の苦だけでなく、さらなる苦に耐えなければならないこととなる。本来、僧侶も仏法を聴聞する一門徒であることに思いをいたせば、横柄な態度は取れないと思う。また、立派に見せようという虚栄心や一種の劣等感がはたらいて、取り繕った態度となり、ご門徒とのあいだに溝ができてしまうこともある。さらには、僧侶だからご門徒のためになにかしなければ、という責任感が過剰となり、空回りする場合もあろう。
 「共生(ともに生きる)」が言われて久しい。「共苦(ともに苦しむ)」ということも言われはじめた。これらは社会の倫理的徳目でもある。真宗の場合は、なぜ共生が人間にとって難しいか、その原因をさぐることをとおして、共生が指向される。すなわち自我の問題である。ともに生きているという真理を忘れ、自分の都合を優先させてしまう私たちの顚倒したありかたを真宗は問い、真理の方向へ向かわしめていく。そして問う主体も真理である。それは「念仏して浄土に生まれよ」という阿弥陀の本願である。その浄土は、「倶会一処(ともに一処に会う)」(『阿弥陀経』)と説かれるように、ともに生きているという真理が実現された世界であり、またその真理を私たちに知らしめるはたらきである。
 真宗門徒は、浄土のはたらきに我が身の顚倒を教えられながら、お念仏して、浄土へと歩んでいく。そのような仏道体系のなかで、お互いがお互いをpartner(パートナー)として尊敬し、「ともに」が成立してくるのである。

(『ともしび』2016年9月号掲載)

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