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門徒と寺院

(上場 顕雄 教学研究所嘱託研究員)

 門徒とは一般用語でいうならば、門下につらなる人をいう(『国語大辞典』小学館)。師の教えをうける門弟、門人ともいえよう。当初は平安前期の慈覚大師円仁(七九四~八六四)の流れをくむ僧侶らを慈覚門徒と称したと伝えられる。
 しかし、浄土真宗において門徒といえば、真宗信者・親鸞聖人に帰依する念仏者をさすことはいうまでもない。真宗教団のことを「門徒衆」と俗称されたこともあった。僧俗ともに聖人の教えを求める自覚に立った生活者を門徒といえる。
 ところで、門徒という文言は聖人自身も記しておられる。それは『高僧和讃』にある。

源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
賢哲愚夫もえらばれず
豪貴鄙賤もへだてなし(聖典四九九頁)

 右掲のように、法然上人の徳はかがやき、それに帰依する門徒の人々はこれを敬うべきである。賢い人、愚かな人、貴賤を問わず皆平等に、という意味である。聖人は法然上人を師と仰ぐ門下につらなる人を門徒といっておられる。
 一方、本願寺第三代覚如上人は『報恩講私記』のなかで「恒に門徒に語りて曰わく」(聖典七四〇頁)と門徒の文言を用いて、聖人の教えに集う人をさしている。
 報恩講が厳修された頃から門徒という言葉で真宗信者を称し、定着したと考えられる。もっとも、初期教団で下野国の高田門徒、下総国の横曽根門徒など地名を冠した門徒集団でも門徒という文言で表している。
 現在も日常的に「ご門徒さん」と呼びあうが、長い伝統のなかでの呼称である。問題はその中身・内容である。
 さて、真宗寺院の場合、手次寺と称する。誰々の氏寺のように菩提寺とはいわない。手次とは、聖人・真宗本廟と門徒をつなぐ意味である。したがって、門徒が聖人の教えを聞き、互いのいのち・存在を敬い、悩みや喜びをわかちあえ、人生を語りあう場が真宗寺院である。本堂は根本道場といえよう。
 時に真宗寺院を檀那寺と呼称した場合もあった。それは檀那・檀越という言葉からきていよう。檀越とは、寺僧に帰依し維持・支援する人という意味である。門徒はその手次寺を護持する責任をもった。また、手次寺の僧侶は歴史的社会的に生きて働く教法を伝える責任と使命感がなければならないと考える。
 昨今、寺院護持に不安感・危機感が語られる場合が多い。それは、家族形態の変化、長寿による介護などの急激な社会的変化などが影響していることもあろう。あるいは、その変動に対応しきれず、門徒としての自覚が僧俗ともに希薄になってきているのではないだろうか。
 一九五六年(昭和三一)の宗務総長・宮谷法含「宗門白書」で宗門の懺悔・自己批判として、「懺悔の基礎となるものは仏道を求めてやまぬ菩提心である」と明言している。白書は同朋会運動の基本的姿勢を提言している。僧俗ともに真の門徒である自覚が求められていよう。

(『ともしび』2016年11月号掲載)

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