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脱真実

(藤井 祐介 教学研究所嘱託研究員)

 毎年、オックスフォード英語辞典が「今年のことば(流行語)」を発表している。昨年(二〇一六年)の「ことば」は「脱真実(post-truth)」であった。英国のEU離脱問題や米国大統領選挙に関する記事・論文のなかで「脱真実の時代」「脱真実の政治」といった表現が頻繁に用いられたという。辞典は「脱真実」を次のように定義している。「世論形成において、客観的事実が、感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」(『朝日新聞』朝刊二〇一六年十一月十七日付)。
 つまりは、虚報や誤報が世論を動かす状況を意味する。「脱真実」はインターネットが普及した二十一世紀に特徴的な現象のように思える。しかし、似たような現象は他の時代にも見られる。
 例えば、米国のジャーナリスト、ウォルター・リップマンは一九二二年に刊行された著書『世論』のなかで「ニュースと真実とは同一物ではなく、はっきりと区別されなければならない」と主張している(掛川トミ子訳『世論』下巻、岩波文庫、二一四頁)。今から百年近く前、虚報であれ誤報であれ、ニュースを「真実」として受け取る現象が見られたのである。リップマンによれば、「その真実がいかに新聞のもうけにならないものであろうと、われわれは新聞が真実を提供すると期待している」(前掲書一七〇頁)。これは二十一世紀の現在にも通じる問題である。「新聞」をテレビやインターネットに置き換えれば、これが昔の話でないことは明らかである。
 では、虚報や誤報が「真実」として受け取られる状況に対して、何もせず、放置しても良いのだろうか。リップマンは次のように提言する。「生まれつき素人のわれわれが真理を探究する道は、専門家たちを励まして、確信ありげな語調で語るいかなる異説に対しても応酬させることにある」(前掲書五一頁)。
 専門家同士が議論することによって、虚報や誤報が事実に基づかないもの、根拠のないものであることが自ずから明らかになるだろう。……しかし、専門家による議論の結果を、「素人のわれわれ」がそのまま受け容れるとは限らない。「脱真実」の時代にあっては専門家の議論を聞き流したり、専門家の主張を「虚偽」と見て反発したりすることもある。「素人のわれわれ」にとって「真実」の判断基準は、「事実を尊重するかどうか」「根拠があるかどうか」「論理的であるかどうか」ではなく、「好きか嫌いか」である。好きな意見には耳を傾けるが、嫌いな意見は聞かない。
 問題は「素人のわれわれ」に限ったことではない。なぜ、専門家の多くは、英国のEU離脱をめぐる国民投票や米国大統領選挙の結果を予測できなかったのか。昨年を顧みて、「素人のわれわれ」だけでなく、専門家もまた「好きか嫌いか」を判断基準にしていたように思われる。専門家も個人的な好き・嫌いの感情を予測に反映させたのではないか。好きな結果しか予測しない。嫌いな結果は想定外にする。好きなものだけが「真実」となり、嫌いなものは「虚偽」となる。聞きたいものだけを聞き、見たいものだけを見る。専門家もまた「素人のわれわれ」と同じように「脱真実」の大海を漂っている。これが「脱真実の時代」の特徴ではないだろうか。

(『ともしび』2017年2月号掲載)

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