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摂取不捨の声

(名畑 直日児 教学研究所研究員)

竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。(聖典一四九頁)

 『教行信証』(総序)の冒頭に記された一文は、本願念仏による救いが示されたものである。参照として現代語訳をしてみたい。
 竊かにおもいをめぐらすと、人間の考えではおよばない弘誓は、度ることが難しい生死の海を度らせてくださる大きな船、何ものにも碍げられない光明は、無明の闇を破る智慧の日である。(筆者訳)
 親鸞聖人には「海」を使った比喩的表現が多いが、この「難度海」もその一つである。先月の『ともしび』(二〇一七年四月号)に掲載された、藤原千佳子氏による「難度海を度する大船」を読みながら、改めてこの一文を考えるようになった。
 「難度海」とは、生死の海を度ることの難しさ、真実の信心に目覚め、さとりへの道に立つことの難しさを示すと同時に、この世を生きる難しさを示しているといえるだろう。
 人生は順風満帆な時ばかりではない。愛別離苦や生老病死といった、人生にとって避けては通れない場面に接する時、生きることの苦しさに惑うことになる。
 清沢満之は、「宗教は死生の問題に就いて安心立命せしむるもの也」(『清沢満之全集』〈岩波書店〉第八巻一一一頁)とし、生死の問題を「死生の問題」とする。肺病にかかり、様々な人間関係に苦しんだ満之は、この苦しみを「死」から捉えている。人は必ず死ぬべき存在であり、そこから様々な煩悶憂苦が起こる、と。肺病の身から起きる悶え苦しみ、人間関係に右往左往し、生きる方向性を見いだせないと苦しむ満之は、この「難度海」という言葉を、身をもって感じたのではないかと私は思う。
 また、満之は東京での真宗大学の運営に際して様々な問題が起こった時、そこに「パンと名誉」の問題があることを感じ、大学の職を辞して自坊へ帰った。この「パン」とは生活の問題(利養)であり、この「パンと名誉」は、『口伝鈔』で示される「みつのもとどりあり。いわゆる勝他・利養・名聞、これなり」(聖典六六一頁)に通じる、仏道の課題となる。
 満之は、「宗教の学校は、パンのために悩まされざる底の修養を得せしめんために建設す」(『清沢満之全集』〈法蔵館〉第八巻四九二頁)とするように、「パンと名誉」(世間)を超える道(「悩まされざる底」)を学ぶことを願いとしながら、それを超えることの難しさ、度ることの難しさを改めて感じたのではないだろうか。
 世間を超える道を求めながら、その道を手段として、自らの名聞、利養等を満たしていくという矛盾。そこにはどこまでも光の届かない深い、無明の闇が横たわっているように思われる。
 「難思の弘誓」、「無碍の光明」とは、闇を闇と照らしだし、それを超える道を示す。本願念仏による救いは、時代の苦悩を照らしだしながら、その中を超えて生きる道を示している。世間を生きる苦しさと向き合いながら、どこまでも救い捨てない、「摂取不捨」の声を聞いていきたいと思う。

(『ともしび』2017年5月号掲載)

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