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善悪のハサミ

(光川 眞翔 教学研究所助手)

 葦というイネ科の植物がある。本来の名前は「アシ」だが、「悪し」に通じる忌み言葉とされ、「ヨシ」と言い換えられて、この呼び方も定着している。漢字も「蘆」や「葭」などが使われて、いずれも「アシ」とも「ヨシ」とも訓むそうだ。そのことに着目した吉野弘の「風流譚」という詩がおもしろい。

葭(ヨシ……善)も
葦(アシ……悪)も
私につけられた二つの名前です
どちらの名前で呼ばれてもハイと答えます

善のさかえる世の中は
悪のはびこる世の中です
私にはよくわかる理屈ですが
人は首を傾げることでしょう

(『吉野弘全詩集』増補新版、青土社、二〇一四年、六一六頁)

 〈善〉がさかえると、その分だけ〈悪〉もはびこる世の中になるという。善がふえると悪は滅びるかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 以前、こういうことがあった。帰宅する人々で座席が埋まっている電車に、杖をついた方が乗車してきた。そのことにいち早く気づいた中年男性がみずからの席を譲った。そして隣の席に座っていた青年に対して「なんで君が席を譲らないんだ。君みたいな若い者が席を譲るべきだろう」と言葉にした。善が悪を生みだした瞬間だった。自らのおこないを〈善し〉とした中年男性が、気づけなかった青年を〈悪し〉と判断したことで、善と悪が生まれたのである。善は悪を生みだし、裁きの世界をつくり、自他をハサミのように切り刻む。
 宗祖は善悪について次のように語っている。

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。

(『歎異抄』聖典六四〇頁)

 宗祖の言葉は、ものごとのすべてを善悪(ヨシアシ)で判断し、それにこだわりつづける私の姿を教えている。〈いい〉とか〈わるい〉にこだわりつづけ、たがいを傷つけながら生きざるをえないのが我々である。宗祖は、自身がつくりだす善悪の世界にいながらも、「善悪総じてもって存知せざるなり」とみずから善悪を手放し、その判断のすべてを如来に任せていった。そこには、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします

(聖典六四〇│六四一頁)

と述べているように、念仏のまことに照らされた自身があきらかになったからであろう。
 誰もがもつ善悪のハサミ――。それで今日も誰かを切り刻み、自分を切り裂いている。「自害害彼」(『仏説無量寿経』聖典二七頁)の存在は、念仏のまことによってのみ知らされる。

(『ともしび』2017年6月号掲載)

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