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入射角―隠れ念仏の歴史―

(花山 教行 教学研究所助手)

 熊本県の人吉・球磨は、室町時代後半から明治初年までの三百六十年余りの間、浄土真宗が禁制となっていた、いわゆる「隠れ念仏」の歴史をもつ地域である。先般、私はここを訪れ、禁制の足跡を辿る機会を得た。
 禁制の理由は正確には分かっていない。しかし一説には、統治していた相良氏が、実際の石高を隠すため他藩との交流を断っていて、藩を越えて布教する真宗僧侶がいたことを嫌ったからであるとも、加賀の一向一揆のことを聞きつけ門徒の団結を恐れたからであるとも伝えられている。
 禁制されるなか、他藩の僧侶たちは危険をかえりみず布教し、門徒たちは隠れて念仏の教えを聞き続け、念仏の伝灯は続いた。禁制のなかにあって必死に念仏の教えを護ったということは、当時のことを伝える法宝物――たとえば、真宗仏光寺派楽行寺で拝見した、まな板のなかに阿弥陀仏の絵像を納めた「まな板本尊」や、傘に似せて作られた木箱に親鸞聖人絵像を忍ばせた「傘仏」など――からも窺われた。
 このたび、この地域にあるいくつかの真宗寺院を訪ねることができたのだが、あるご住職は、この歴史を「隠れ念仏」ではなく、「隠れ門徒」という言葉で表現されていた。その理由を伺うと、他宗にも念仏の行は存在し、念仏そのものが禁制されたわけではなかったからとお示しいただいた後、非常に近い政策とも言えるキリスト教禁制の歴史が「隠れキリシタン」という「人」に重点を置いた言葉で語られているから、それに合わせて「隠れ門徒」と言いたいという思いをお話しくださった。もちろん「隠れ念仏」という表現が適していないということではないが、「隠れ門徒」という言葉によって、こっそりと念仏をしていたという点にだけではなく、念仏の行為は隠さなければならなくとも、念仏の教えはその人にはたらき、門徒が生まれていたという点にも光が当てられるように思われた。
 また、この地域に隣接する禁制地域外だった真宗寺院のご住職は、その開基が禁制地域の道場にあった阿弥陀仏像を運び本尊としたという寺伝や、代々のご住職が禁制地域の門徒に布教した歴史を教えてくださった。ご住職によると、禁制地域の門徒たちは報恩講が勤まる時、密かに禁制地域を抜け出して、その寺に参り、役人の目の届かない本堂の内陣余間で宿泊したこともあったという。ご住職からは、隠れた人がいたという点だけではなく、必死で教えを伝えたということを見過ごしてほしくないという願いを聞くことができた。さらに別のご住職からは、禁制が解かれた後の歴史にも注目してほしいとの声が聞かれた。禁制の歴史だけではなく、その後の開教の歴史にも光を当て、長い時間幅で捉えようとする視点と言える。
 そこに様々な人々が生き、願いがあった事実があっても、どのような入射角から照らすかによって、その歴史を表現する言葉が変わる。しかし、それが一つの像であるということを忘れると、イメージが固定化し、絶対的な事実のように思ってしまう。このたびのフィールドワークを通して、困難な状況であっても念仏の教えに生き、それを伝えてきた人々の願いに出会えたとともに、イメージの固定化という問題に直面した。

(『ともしび』2017年9月号掲載)

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