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不思議を驚きたい

(松林 至 教学研究所嘱託研究員)

 「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」。明治の小説家、国木田独歩は代表作『牛肉と馬鈴薯』(一九〇一年)のなかで、自身をモデルにした主人公の岡本にこのように語らせています。
 この短編小説では、サロンに集う数人の男たちが酒を交わしながらそれぞれの人生観を語り合います。理想を捨て現実的に生きて牛肉にありつく暮らしがよいか、それとも理想を追い求め馬鈴薯しか食べられない生き方がよいか。互いを批判しながら、人生はかくあるべしと語る登場人物たち。対して岡本は、そんなことはどちらでもいい、ただひとつ僕には願いがあるのだ、と語り始め、「吃驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」と述べた後に続くのがこの台詞です。独歩自身のテーマがよく表れており、不思議を「知りたい」のではない、「驚きたい」のだという着眼に私のあり方を大いに考えさせられます。
 この私は、ものが「わかる」ようになって大人になってきたのだとつくづく思います。あれはこういうことだ。あの人はああいう人だ。そのように「わかった」という思いを積み重ねてきました。それは何もかもを課題とし考え抜いてきたということではありません。難解なことには「これはわからなくてもいい」ともわかってきました。そのように選り分けてきたのです。手元の辞典によれば「分かる」と同義の「解かる」という字は、刀で牛から角だけを切り出してくる姿を表しているのだそうです。まさに自分の要るところだけを好きに切り出してわかったことにしてきたのではないか。ときに学校や社会ではそのような力が求められ、それ以上に問いを持てずに関心をなくしてきたのではないだろうか。そのように、不思議を不思議でなくす作業を繰り返したところに失ってきたものが「驚き」ではないかと思います。
 親鸞聖人は『末燈鈔』のなかで、

 ただ、誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなえつるうえは、なんじょうわがはからいをいたすべき。ききわけ、しりわくるなんど、わずらわしくはおおせ候うやらん。これみなひがごとにて候うなり。ただ、不思議と信じつるうえは、とかく御はからいあるべからず候う。

(『真宗聖典』六〇五頁)

とおっしゃっています。「ききわけ、しりわくる」のではない。不思議でなくなるほどわかったからではなく、「ただ不思議と信じつるうえ」に弥陀の誓願に帰していかれた姿がここにあります。不思議を不思議と信ずる。親鸞聖人こそ不思議を驚いていかれたのではないでしょうか。
 仏法がわかるかわからないか。役に立つか立たないか。そのようなはからいを超えて、聞こえた仏法への驚きが私にあるか。驚きたいという独歩のテーマからは、あなたは仏法を聞いてどうしようというのですかと問われる思いがします。驚くことを端からの目的にするわけではありませんが、「しりわくる」ことを目的にしていては仏法の不思議を驚くことは私に起こり得ないのでしょう。

(『ともしび』2018年12月号掲載)

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