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一大事の御客人

(楠 信生 教学研究所長)

「開山聖人の、一大事の御客人と申すは、御門徒衆のことなり」と、仰せられしと云々

(『蓮如上人御一代記聞書』聖典九一一頁)

 「親鸞聖人が最も大事な御客人と言われるのは、御門徒衆のことである」と蓮如上人が仰せられたというのです。また門弟空善による言行録には、次のような蓮如上人の言葉が記されています。

仰ニ、オレハ門徒ニモタレタリト、ヒトヘニ門徒ニヤシナハルヽナリ、聖人ノ仰ニハ、弟子一人モモタスト、タヽトモノ同行ナリ、ト仰候キトナリ。

(『第八祖御物語空善聞書』、『真宗史料集成』第二巻、同朋舎、一九七七年、四三二頁)

 「もたれたり」というのは、門徒は教える対象ではなく、育てていただく方々であるということです。だからこそ「ともの同行」と言われるのです。
 「御門徒」という言葉にはいろいろな響きがあります。かつて、ある研修会で排他的ナショナリズムに固まった一人の青年僧と一緒になったことがあります。班を担当された方は、ともに考えることのできる場を開くべく苦労されていました。その班担の方が懸命に努力しながらもなかなか通じない、自分の手に負えないと感じられたとき、「御門徒に育てていただくしかないですね」と話されました。この「御門徒に育てていただく」という言葉が、私には印象深く残りました。
 私事になりますが、この夏に住職を退任いたしました。継職法要の後、祝賀会でのことです。私にとっては思いもよらぬ門徒の方々が出席をしてくださいました。思いもよらぬ方というのは、葬儀がご縁で門徒になられた方々のことです。その方々の顔を見たときに葬儀の折々のことが脳裏をよぎりました。それというのも、葬儀となると通夜法話をしなければなりません。大切な家族を亡くされた方々は、法話の一言一言に表情を変えられます。そのことは通夜法話に限らず年忌法要においても同じですが、その重苦しさの中で私自身が大切なご縁をいただいたのだと感じたことです。
 「一大事の御客人と申すは、御門徒衆のことなり」と、ここで言われる御門徒とは、ともに念仏の教えを聞き浄土を願って生きる御同行・御同朋を指していることは申すまでもありません。しかし、すべての人が御同行・御同朋であってほしいと願っておられたであろう蓮如上人においても、誰とでも快く会っておられたわけではないようです。
 同じ『御一代記聞書』に「信心なきひとには、あうまじきぞ。信をうるものには、めしてもみたくそうろう。あうべし」(聖典八六四頁)という言葉があります。ここで言われる「信心なきひと」とは教えから自身が問われていない人、問いに立たない人という意味でありましょう。「信心をうるもの」とは本願のまことを信じ念仏のいわれを聞き続けようとする人のことであると思われます。そのような人が「一大事の御客人」であり「御門徒衆」とよばれる人です。
 そのような人と出会ってこそ、私どもは往生浄土の道を共に生きることができるのであります。それでも、「悩む人」は念仏の法によって問いに立つということが今はできなくても、厳しい現実によって問いに立たされていることは事実であります。だからこそ私にとっては「もたれたり」という御門徒衆であったのです。

(『ともしび』2019年11月号掲載)

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