ラジオ放送「東本願寺の時間」

津垣 慶哉(福岡県正應寺)
第1回 家族 [2010.3.]音声を聞く

おはようございます。今日からラジオ放送「東本願寺の時間」でお話しすることになりました津垣慶哉と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
まず始めに簡単な自己紹介をさせていただきます。私は現在53歳です。15年ほど真宗大谷派のお寺の住職をしております。九州北部の山あいにお寺はありまして、妻と小中学校に通う娘二人と母との五人暮らしです。日ごろはつれ合いの協力を得ながら法事やお葬式や毎月のおまいり、それに仏教の教えを学んだり話しあっていく場を開いていこうとつとめています。
今、私の家族の紹介をしましたが、私にはもう一つ家族といっていい大切な仲間の集いがあります。「親鸞に聞く夜のつどい」という10人余りの集いをこの15年間続けています。この集いの会則は、出入り自由というものです。いつ参加してもよし、辞めてもよし、何を言ってもよし、という宗派を超えて仏教を語り合おうという自由な空間をめざしています。絶えず入れ替わりしながら、今も個性的な方々が遠近から集い人生について、日々の悩みについて、話しあっています。そのような中で教えられたこと、考えていることをここでお話しさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
先ほどから家族ということを申しておりますが、今日はその家族という視点から、お釈迦さまや親鸞聖人のことを考えてみたいと思います。
お釈迦さまは今から2500年も前にインドに誕生されました。お釈迦さまの生涯は平穏無事とは言い難い波瀾万丈の人生でした。国王の家に誕生され将来国王の後継者として幼い頃から英才教育を受けておられたようです。何不自由ない豊かな環境に恵まれておられたようですが、すくすくと成長していく中にも人生の大きな問題にぶつかり苦悩して、29歳のとき出家されました。そのころすでに結婚もされ子供さんもおられたようですが、その家族を置いて、将来約束されていた名誉や権力も捨て修行者の道を選ばれました。その後6年間の孤独な厳しい修行を経て35歳のとき悟りを得られたと伝えられています。その後お亡くなりになるまでの45年間、仏教伝道の旅を続けられたといわれています。
このように申しますとお釈迦さまというお方は、一筋に道を求め究められたすぐれた仏教者であるということができます。ところがこのご生涯を妻や母親や子供たち家族の目から見ていくと少し違ったものになるのではないでしょうか。29歳という人生の大切な時期に家族を置き去りにし、まわりの人たちの期待を裏切って家を出たわけですから、その失望たるや計り知れないものがあったことでしょう。
しかしその後の経過をたどっていくと、お釈迦さまは後に仏教を旗印とする新しい家を築いていかれているのです。やがてお釈迦さまの母親も妻も子供さんもその家庭の住人となり、仏弟子として多くの業績を残すことになったのです。
実は親鸞聖人についても同じようなことがいえます。
 親鸞聖人も幼くして親を失い家族と離ればなれになりました。比叡山での天台宗の修行を経て法然上人にお会いになり、結婚し再び新しい家庭に恵まれました。しかしその家族も私たちの常識的な見方からいえば、決して幸せな家庭生活とはいえないものでした。しかし親鸞聖人の晩年、あるいは聖人がお亡くなりになった後も含めてたどっていくと、家族の中から聖人の残された教えへの理解者が次々とあらわれてきます。仏教を旗印とする新たな家庭づくり、血縁を超えた人と人とのつながりをそこにみることができます。

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