ラジオ放送「東本願寺の時間」

酒井 義一 (東京都 存明寺)
第2回 ヤマアラシのジレンマ [2010.11.]音声を聞く

 おはようございます。今朝は「ヤマアラシのジレンマ」というお話をさせていただきます。
 私たちは、この世に生を受けてから今日まで、実に多くの人々と出会いながら生きてきました。そして今もなお人間関係の中を生きていると言えます。人間関係、それはとても大切なことであります。しかし半面、その人間関係によって私たちは様々な苦悩を抱え込むものでもあります。例えば、親と子・嫁と姑・夫婦の関係・職場や学校での人間関係・・・。本来出会うべき人は目の前にいるのですが、なかなか心を通わせて出会えないという事実が、私たちにはありはしないでしょうか。出会いたい、でも出会えない。実は多くの人が、このような問題を抱えながらこの世を生きているのだと思うのです。そのことをいま、一つのたとえ話でご一緒に考えてみたいと思います。
 皆さんはやまあらしという動物をご存じでしょうか。アフリカやヨーロッパ、南アジアやアメリカ大陸など、広い地域に生息している動物です。体長は30センチから80センチほど。いずれも背中から腰のあたりにとげのような硬い毛を持っている生き物です。普段は針は閉じているのですが、身の危険を感じた時、反射的に針は自分の身を守るために、立ち現れてきます。そうして体を振って音を出したり、ときには敵を刺したりするのです。
 そんなヤマアラシを見て、ドイツのショーペンハウアーという哲学者は次のように思ったそうです。ヤマアラシは、一人ぼっちではさみしくて生きていけません。一緒に生きていく仲間を求めるのです。何にもない時には、その仲間と仲良くしていることができます。しかし、いったん身に危険を感じてしまうと、反射的に自分を守るための針が全身にあらわれてきます。その針で仲間を傷つけ、反対に仲間の針で自らも傷つく。そんなことを繰り返してしまうのです。
 やまあらしは、次第に相手と距離を置くようになります。しかし、離れすぎるとさみしくなって近づき、近づきすぎるとまた傷つけ合って、距離を置くのです。相手との微妙な距離の取り方がよくわからず、うろうろしてしまう。こんな状態を「ヤマアラシのジレンマ」と言います。

 さて、やまあらしとは、いったい誰のことでしょうか。やまあらしとは、実はこの世を生きる私のことであり、あなたのことであり、自己防衛本能を身につけた私たち「人間」のことなのです。私たちは、自分の身を守る、目に見えない針をたくさん身につけてこの世を生きています。普段は、その針があることさえ忘れて生活をしています。ところが、いったん身の危険を感じると、その針がたちどころにあらわれて、私の身を守ります。それゆえ人は、自らの針でとなりの人を傷つけ、同時にとなりの人の針で自らも傷つくことを繰り返しているのです。

 では一体どうすればよいのでしょうか。それは、私には実は、目に見えない針があるのだということを、しっかりと自覚していく、ということからはじまります。相手の針はよく見えるものです。しかし、肝心の自分自身が持つ針は見えていない場合が多いのです。相手の針は、苦い思いや悔しさと共によ~~くその姿が見えるもの。でも自分自身にもいろいろなすがた形の針があり、それで相手を傷つけているという事実は、残念ながら、私たちにはなかなか見えてこないのです。肝心の自分自身が見えていない場合が多いのです。
 しかし、そのことを照らす光があります。私には針があった。その針をなくすことはできない私です。でも、私に針があることを自覚することはできるのです。その自覚は、私が今まで見えなかった「私の本当のすがた」を照らし出し、さらに深い気づきの世界へと私をみちびくことでしょう。
 親鸞聖人が明らかにした浄土真宗、それは自分が持つ見えない針を、しっかりと自覚し、本当の出会いというものを求め続けていく宗教です。

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