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正信偈の教え-みんなの偈-

第1回 偈前の文

【原文】
爾 者 帰 大 聖 真 言 閲 大 祖 解 釈 信 知
仏 恩 深 遠 作 正 信 念 仏 偈 曰

【読み方】
しかれば大聖だいしょう真言しんごんし、大祖だいそ解釈げしゃくえつして、
仏恩ぶっとん深遠じんのんなるを信知しんちして、正信念仏偈しょうしんねんぶつげを作りてわく、 


 私たちは日ごろ、真宗の『勤行集』によって「正信偈」に接していますが、それはもともと、親鸞聖人が著された『教行信証』に収められているものです。『教行信証』というのは、親鸞聖人の代表的なご著作です。聖人は、このご著作によって、浄土の教えが「真実」であることを顕らかにされたのです。その意味で、真宗の教えの根本となる聖教しょうぎょうであるわけです。『教行信証』は六巻からなる大著ですが、その第二番目、「ぎょうの巻」の末尾に「正信偈」が添えられているのです(聖典204~208頁)。
 「正信偈」は、詳しくは「正信念仏偈」といいますが、それは、「念仏の教えを正しく信ずるための道理を述べた歌」というほどの意味です。漢文で書かれた詩で、七文字を一句とし、百二十句、六十行からなっています。
 親鸞聖人は、『教行信証』に「正信偈」を掲げられるに先だって、まず「正信偈」をお作りになった、そのお気持ちを、

  「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、」(聖典203頁)

と述べておられます。
 「大聖の真言に帰し」とあるのは、釈尊が説かれた真のお言葉を依り処とする、ということです。釈尊は、『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』というお経をお説きになりました。そしてこのお経のなかで、阿弥陀如来がすべての人を救いたいと願われた、いわゆる弥陀の本願のことを教えられたのです。それが大聖の真言、つまり釈尊の真のお言葉ということなのです。親鸞聖人は、「正信偈」を作るにあたって、この『大無量寿経』の教えを依り処とされたというわけです。
 次の「大祖の解釈に閲して」というのは、インド・中国・日本の三国に出られた七人の高僧が、『大無量寿経』の教えを正しく受けとめられた、そのご解釈を手がかりにする、ということです。親鸞聖人は、『大無量寿経』についてのご自分の見解を主張しようとされたのではなく、三国の七高僧のご教示を仰がれたのです。
 親鸞聖人は、ご自身を見つめるのに大変厳しい眼をおもちでありました。ご自身を、愚かで罪深い凡夫であると見極めておられたのです。実は、そのような凡夫を何としても助けたいというのが、『大無量寿経』に説き示されている阿弥陀如来の本願なのです。親鸞聖人は、このような『大無量寿経』の教えを依り処とし、また、このお経の教えについての大先輩がたのご解釈によって、釈迦しゃか牟尼むにぶつ(釈尊)と阿弥陀仏の恩徳おんどくがまことに深いことを信じさせていただき、知らせてもらったことを喜んでおられるのです。そのことを「仏恩の深遠なるを信知して」といっておられるのです。そして、自ら信ずるとともに、人にも教えて仏の恩の深いことを信じさせるために、「正信偈」をお作りになったのです。
 「正信偈」は、全体を大きく二つの部分に分けて見られています。その一つは、「依経分えきょうぶん」といわれていますが、これが、先ほどの「大聖の真言」にあたる部分です。すなわち、仏の大悲が説かれている『大無量寿経』の要となる教えについて讃嘆さんだんしてある部分です。いま一つは「依釈分えしゃくぶん」といわれますが、これは「大祖の解釈」にあたるところで、七高僧お一人お一人の教えを紹介し、それぞれの高僧の徳を讃えてある部分です。
 私たちが、日々のお勤めのときに「正信偈」をあげ、またこうして「正信偈」の「こころ」に触れようとするのは、愚かで、なさけない生き方しかできていない者が、親鸞聖人のお勧めの通りに、「大聖の真言」と「大祖の解釈」を讃嘆し、その恩徳に感謝することになるのです。

九州大谷短期大学長 古田和弘


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