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正信偈の教え-みんなの偈-

如来の光明

【原文】
普 放 無 量 無 辺 光  無 碍 無 対 光 炎 王
清 浄 歓 喜 智 慧 光  不 断 難 思 無 称 光
超 日 月 光 照 塵 刹  一 切 群 生 蒙 光 照、

【読み方】
あまねく、無量むりょう無辺光むへんこう無碍むげ無対むたい光炎王こうえんのう
清浄しょうじょう歓喜かんぎ智慧光ちえこう不断ふだん難思なんし無称光むしょうこう
ちょう日月光にちがっこうを放って、塵刹じんせつを照らす。一切の群生ぐんじょう光照こうしょうかぶる。


 ここには、阿弥陀仏の智慧ちえの徳が十二種の光として述べられています。これは、阿弥陀仏、すなわち無量寿仏の別の呼び名として『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』に述べられているものです(聖典30頁)。
 阿弥陀仏は、あらゆる方向にこの十二種の光を放って、塵のようにちらばっている無数の世界を照らしておられるというわけです。すなわち、阿弥陀仏の智慧には、人間のあらゆる状況を覆っている無知という闇を破って、すべてを光り輝かせる徳がそなわっているということです。
 そして、一切の衆生しゅじょうは、この光の輝きを現にこうむっているのです。智慧のはたらきをいま受けていない衆生はいないのです。
 阿弥陀仏が仏に成られる前、法蔵ほうぞうという名の菩薩であられた時、すべての人びとを例外なく救いたいと願われて、四十八項目からなる誓願せいがんおこされたのでした。『大無量寿経』によりますと、法蔵菩薩は、この四十八の願いを実現するために、私どもの思慮の及ばない、はるかな時間をかけて、無量の徳行を積み重ねられたと説かれています(聖典27頁)。
 そして、そのような徳行が実を結んで、法蔵菩薩は仏に成られたのです。それが阿弥陀仏なのです。法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られてから、すでに十劫じっこうという途方もなく永い時間が経過していると、『大無量寿経』に説かれています(聖典29頁)。つまり私は、この私を救ってやりたいと願われた阿弥陀仏の願いが現にはたらいている状況のなかに生まれてきたのです。そして、その願いと、その願いによって放たれている智慧の光明こうみょうの輝きに包まれ、絶えず光に照らされながら、私はいま生きているのです。
 さて、親鸞聖人は、『大無量寿経』によって、「正信偈」に、十二種の光の名を掲げておられるのですが、その最初は「無量光」です。これは、阿弥陀仏の四十八願の第十二願、すなわち「光明無量の願」によるものです。それは「たとえ、私が仏に成るとしても、私の光明の輝きに限量(かぎり)があるならば、私は仏にはならない」(聖典17頁)という誓願なのです。
 これについて親鸞聖人は、『和讃わさん』に、「智慧の光明はかりなし 有量うりょう諸相しょそうことごとく 光暁こうきょうかぶらぬものはなし 真実明しんじつみょう帰命きみょうせよ」(聖典479頁)と詠っておられます。
 阿弥陀仏の智慧の光明は、はかり知ることができないものであって、限りのある私たちの現実のありさまは、すべてこの光の輝きを蒙っているのだから、真実の光明である阿弥陀仏に帰命しなさいと、教えておられるのです。
 第二は、「無辺光」です。阿弥陀仏の智慧の光明は、ここから先は行き届かないというような際はない、ということです。これを『和讃』には、「解脱げだつ光輪こうりんきわもなし 光触こうそくかぶるものはみな 有無うむをはなるとのべたまう 平等覚びょうどうかくに帰命せよ」(聖典479頁)と詠われています。
 私たちを悩み苦しみから解き放つ光明のはたらきには辺際がなく、この光に触れることができるものは、みな自分がこだわっている誤った考えから離れることができるといわれているので、平等普遍の智慧をそなえられた阿弥陀仏に帰命しなさいと、教えられているのです。
 第三は、「無碍光」です。何ものにも、さえぎられることがないのが阿弥陀仏の智慧の光明です。『和讃』には、「光雲こううん無碍むげ如虚空にょこくう 一切の有碍うげにさわりなし 光沢こうたくかぶらぬものぞなき 難思議なんしぎを帰命せよ」(聖典479頁)と詠われています。
 光に満ちた雲のような阿弥陀仏の智慧は、ちょうど大空をさまたげるものがないように、何ものにもさまたげられることなく、障害と思われる、どのようなものであっても、阿弥陀仏の智慧のはたらきには、何の障害にもならないので、光に満ちた雲の潤いを蒙らないものはないのだから、われわれの思慮では推し量れない阿弥陀仏の徳をよりどころにせよと、親鸞聖人は教えておられるのです。

九州大谷短期大学長 古田和弘

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