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正信偈の教え-みんなの偈-

真実を顕す

【原文】
依 修 多 羅 顕 真 実
光 闡 横 超 大 誓 願

【読み方】
しゅ多羅たらって真実をあらわして、
横超おうちょう大誓願だいせいがん光闡こうせん


 天親てんじん菩薩は『浄土論』をお作りになりました。それは『仏説ぶっせつりょう寿じゅきょう』の教えにもとづいて述べられた『論』でありました。
 阿弥陀仏の本願を教えてあるのが『仏説無量寿経』ですから、天親菩薩は、本願によってぼんに施与されている念仏こそが真実であることを顕かにされたのです。お経に説かれた真実が、まさしくその通りの真実であることを天親菩薩が顕かにされたのです。そのことを親鸞聖人は「修多羅に依って真実を顕して」と述べておられるのです。
 「修多羅」は、インドの「スートラ」という言葉の発音を漢字に写しとったものです。「スートラ」は、織物の縦糸を意味する言葉です。漢字の「経」も縦糸のことですので、「スートラ」は通常は「経」と訳されるのです。
 織物の場合、縦糸が端から端までずっと貫かれていて、それに横糸がからんでさまざまな模様を作り出します。縦糸は表面には出ませんが、一貫して通っていて横糸を支えているわけです。
 お経にも、いろいろな言葉があり、さまざまな表現がありますが、それは模様のようなものです。どの経典にも、釈尊が教えようとされた精神が変わることなく貫かれていることから、釈尊の教えを伝える聖典を「経」と呼ぶわけです。
 天親菩薩は修多羅に依って真実を顕かにされたのだと、親鸞聖人は教えておられますが、天親菩薩が依られた修多羅、つまりお経とは、『仏説無量寿経』を指しています。したがって、このお経に依って真実を顕かにされたのが『浄土論』なのです。
 そして、天親菩薩が顕かにされたその真実とは、この句の直前にありました「帰命無碍光如来きみょうむげこうにょらい」つまり「南無阿弥陀仏」なのです。「南無阿弥陀仏」というみょうごうこそが阿弥陀仏から私たちに与えられている真実なのです。決して私が真実であるかどうかを判断するような真実ではないのです。
 『浄土論』の冒頭に、天親菩薩は「われ修多羅、真実功徳のそうに依って」(『真宗聖典』135頁)と述べておられます。「私は『仏説無量寿経』の真実功徳の相に依って、この『論』を作ります」というほどの意味になります。
 「真実功徳の相」というのは、真実のすぐれた徳を具えたものということです。親鸞聖人は、『尊号真像銘文そんごうしんぞうめいもん』に「真実功徳相というは、真実功徳は誓願せいがん尊号そんごうなり。相はかたちということばなり」(『真宗聖典』518頁)と述べておられます。つまり「真実功徳」とは、阿弥陀仏の誓願による名号、「南無阿弥陀仏」のことであるとしておられるのです。
 「真実功徳」は、真実のすぐれた徳を具えたものですから、誰にとってもなくてはならないものであり、生きてゆく上での究極的な依り所となるものです。その依り所が「南無阿弥陀仏」という名号なのです。その名号が私たちに施されているのですから、「南無阿弥陀仏」をありがたく受け止めて、それを素直にいただくこと、それだけが私たちに残されているわけです。
 これに続いて「正信偈」には「光闡横超大誓願こうせんおうちょうだいせいがん」(横超の大誓願を光闡す)と詠ってあります。「光闡」というのは、光り輝かせて明らかにすることです。「横超」というのは、今は結論的な言い方をしておきますと、それは「他力」ということです。「他力」は阿弥陀仏の本願の力です。「大誓願」は阿弥陀仏の誓願ですから、「本願」ということになります。したがって、「横超の大誓願」は、「他力の本願」ということです。
 「南無阿弥陀仏」は、私たちの自我の意志によって称える名号ではなくて、阿弥陀仏が阿弥陀仏の願いとして、私たちに差し向けられている「南無阿弥陀仏」なのです。「南無阿弥陀仏」という六文字の全体が名号として施されているのです。
 「修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す」とありますが、それは、天親菩薩が、『仏説無量寿経』に依って、「南無阿弥陀仏」が真実であることを顕かにされ、その真実である名号が、他力の本願によるのであることを明らかにされた、ということなのです。

九州大谷短期大学長 古田和弘

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