真宗の教え

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正信偈の教え-みんなの偈-

真宗

【原文】
真 宗 教 証 興 片 州
選 択 本 願 弘 悪 世

【読み方】
真宗の教証、片州へんしゅうおこす。
選択せんじゃく本願、悪世にひろむ。


 親鸞聖人は、法然ほうねん上人の徳を讃えておられます。
 法然上人こそが、「真宗」の教えと、その教えによって得られる結果とを、この日本の国で、初めて誰にもわかるように明らかにしてくださった、と讃えておられるのです。
 「真宗」という言い方は、たとえば「真宗大谷派」などというように、仏教の中の一つの宗派の名前として用いられることが多いと思います。それはそれで、間違いではないのですが、ここでは、宗派の名前のことではありません。
 「真」は「まこと」と読みます。また「宗」は「むね」と読みます。したがって、「真宗」は「まことのむね」ということになるのです。私たちが日ごろ親しんでいる「真宗宗歌」に、「まことの みむね いただかん」という一節がありますが、その「まことのみむね」がここに詠われている「真宗」なのです。「真宗宗歌」は、「真宗をいただきましょう」と詠ってあるのです。
 「真」は、真実ということです。「宗」は、もっとも中心になること、肝心かなめのことをいいます。したがって、「真宗」は、仏教、つまり釈尊の教えの全体の中で、たった一つの真実であり、肝心要である、ということを意味しているのです。
 釈尊の教えの肝心要ということは、人が日常の生活をするときの肝心要であるということを意味します。なぜならば、釈尊は、「人はなぜ悩まなければならないのか」「人はどうして悲しまなければならないのか」と、人の日常のありさまを問い続けられ、その答えに目覚められ、そして、その答えを人類に教えられたからです。このため、「真宗」は、人類の日常にとって、もっとも重要な教えということになるのです。
 親鸞聖人は、『浄土和讃』に、「念仏成仏これ真宗」(『真宗聖典』四八五頁)と詠っておられます。「真宗」という言葉は、すでに中国の唐の時代の善導大師ぜんどうだいし法照禅師ほっしょうぜんじが用いておられる言葉でもあります(同一九一頁)。
 「成仏」は、仏(目覚めた人)に成ることです。したがって、念仏によって真実に目覚めさせていただくこと、それが「真宗」である、ということです。もう少し言葉を補うならば、本願による念仏をいただくということが、人生の最重要課題である、という意味になると思います。
 「教証」は、「教・行・証」を短く表したものです。「教」は、教法きょうぼうということですが、ここでは、釈尊が『仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』にお説きになられた「阿弥陀仏の本願」の教えです。一切の人びとを漏れなく救いたいと願っておられる阿弥陀仏の願いについての教えです。
 「行」は、修行・実践ということですが、ここでは、一切を救うために阿弥陀仏が施し与えておられる「念仏」です。その他力の念仏を素直に受け取ること、それが、たった一つの「行」である、ということです。
 そして「証」は、「教」にもとづく「行」によって生ずる結果です。もとは、厳しい修行によって得られる「さとり」を意味する言葉ですが、浄土の教えでは、他力の念仏による「往生」という意味に受け止められています。
 「片州」は、片隅の国ということで、それは、この日本の国のことです。仏教が興ったインド、その仏教が大きく発展した中国、これらの国々からすれば、日本は、片隅の国なのです。
 ところが、仏教の「まことのみむね」が明らかにされたのは、仏教の発祥の地でもなく、発展の地でもない、むしろ、世界の片隅である日本においてであった、というわけです。そして、それを明らかにしてくださったのが、他ならぬ、法然上人であったと言っておられるのです。
 法然上人は、仏教の、そして私たちの生活の、「まことのみむね」、つまり「真宗」を、この片隅の国に興してくださったのだと、どうしてそれが言えるのかといえば、それは、法然上人に至って、ようやく、阿弥陀仏が選び取られた願い、すなわち、往生するはずのない人を往生させたいと願われた本願を、この悪い世に広めてくださったことによるのです。

九州大谷短期大学前学長 古田 和弘

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