15.耳を、目を、心を開こう

澤村 剛(九州教区)

■坊主BAR

 私のお寺は鹿児島県内でも過疎化の進む田舎にあり、お寺で若者がたくさん集うということは中々ありません。ですが幸いに今は月に一度、鹿児島市の天文館という繁華街で坊主BARを開催させていただいていますので、若者を含め様々な方との出会いをいただいています。
 私は真宗大谷派(東本願寺)というお念仏の宗派のお寺で生まれ育った者ですが、坊主BARにはそれこそ他宗派の方、宗教に無縁の方、老若男女様々な境遇の方々がいらっしゃいます。ある女性は今の仕事を続けるべきなのか真剣に悩んでいました。ある若者は自分の信じる宗教について熱く語り、生業についての考えと自信を語っていました。ある男性は度重なる不幸と関係者の死から自分も死んだほうがいいのだろうかと悩んでいました。ある年配の男性は新興宗教の怪しさから逃れたことを語っていました。またある若い女性は男の不甲斐無さに腹を立てて愚痴っていました。
 お読みになっているあなたはどうですか。何か話したいことはありますか。坊主に話すことはないですか。
 私は有志の方々とこの坊主BARを企画する際、「坊主が語る場から聞く場へ」を一番大事なポイントとして掲げました。私がお寺に入り10年程になりますが、つくづくお坊さんが語ってばかりやなぁと感じるからです。まぁそれがお仕事でもありますが、法事の場でも、お寺の法要でも、僧侶に語りかける方は限られた方だと思うのです。そして、お寺に参るご縁がある方もやはり限られた方だけだと思うのです。だからこそ自分たちから喧騒の場に足を運び、「お坊さんは頼りない」とか「お坊さんってどんなもんや」と思っている人たちから聞いていかなければならない。何気なく出会った人から見聞を広めていかなければならないと考えています。

■「直心是道場」

 「直心是道場」という言葉があります。これは禅の言葉です。仏陀(お釈迦様)が在世の時代、維摩居士という古代インドの都市に住む富豪で学識すぐれた在家(出家していない)仏教信者が発した言葉です。ある時、修行者が都会の喧騒の中では修行ができないと考え、修行に適した静寂の地を求めて町の城門を出ようとしたところ、城門内に入ろうとする維摩居士に出会いました。「どちらからいらっしゃいましたか」と修行者が尋ねると「道場から来たのだよ」と維摩居士は答えます。〝道場から〟と聞いて、修行者は喜んで尋ねました。「その道場はどこにあるのですか」。それに対して維摩居士は「素直な気持ちがあれば、どんな所も道場だよ」と答えました。これが「直心是道場」です。
 現在の坊主BARは、お客様からの希望でいずれも5分くらいの短いお勤め(お経)と法話を行っています。不思議なくらい耳を傾けてくださる方や、時に涙してくださる方もいます。その涙の訳を私は知りえません。その人の悲しみを、苦しみを、人生を、わかることは誰にも出来ないと思うのです。一人一人、生きるご縁は決して同じではありません。私は坊主BARを僧侶が相手をわかったつもりで教える場ではなく、その苦悩に寄り添う場にしたいのです。

■誰かの声に耳傾けて

 世間では「これが成功した姿だ」「これが幸せだ」「自分の本当の居場所を見つけよう」「あなたの進むべき〇〇」といった言葉が頻繁に使われます。そんな言葉に触れるうち、まるで自分の居場所がどこかにあるかのように錯覚しがちです。ですが、そもそも居場所とは、選ぶものではなく今ここに与えられているものです。私はそのことに気づくのに随分と時間がかかり、迷惑をたくさんかけました。まだまだ迷惑をかけているのかもしれません。そのような私を導いてくださったのは、これまで出遇ってきた方々です。「出遇う」と表現するのは、私が計算した出会いではないからです。計算ではない「出遇い」から、悲しみ、苦しみ、願い、痛み、喜びなど様々な心模様を知る度、その心模様を本当はわかりえない私を知らされるのです。わかったものに出来ない悲しみ、代わりたくとも代われぬという痛みをもってこそ、初めて「寄り添う」ということが出来るのだと教えられています。
「直心是道場」の話をあなたはどう思われたでしょうか。静かな場所でなければ修行はできないのでしょうか。言い換えれば、自分の考える理想の環境のみがあなたを本当の意味で人として育てているのでしょうか。自分の思う場所があなたの居場所でしょうか。本当は素直な気持ちで、どこにあっても真剣に取り組み、柔らかな心で見て聞いていく姿勢がなければならないのでしょう。お経には、地獄や餓鬼や畜生といった世界は身心が閉塞していく先にある世界だと表されています。心を閉ざし、耳を塞いでしまっているのは誰でしょうか。
 だからこそ「聞」という時間を無駄とは思わず、大切にしてもらいたいのです。今は、スマホなど指先で動かす世界で自分のことを発信し、その中の言葉や評価に囚われてしまっている世間を感じます。指先で動かすだけの世界の先には指先で振り回される世界しかありません。自分の計算した世界に閉じ込められてしまっていませんか。今、私は、あなたは、目を、耳を、心を開いて出遇えているのでしょうか。
 そんな事を考えながら、頼りない坊主ですが、今夜も誰かの声に耳を傾けて坊主BARを営業しております。
「坊さんとざっくばらんに語ってみらんけ」
 あなたの身近なお坊さんにも是非、気軽に声をかけてみてください。合掌。

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