宗祖としての親鸞聖人に遇う

門首就任十周年記念式に遇う

(立野 義正 教学研究所嘱託研究員)

宗務総長は挨拶の中で「一九六九年の管長職譲渡の開申を発端として、一九九六年の暢顯門首ご継承までの、長年にわたる教団問題とその危機を逆縁として、宗門の近代化と本来化に向けて歩まれた先達の熾烈を極めた歴史の上に暢顯師は「お断りするのも後で苦しむ。お受けしても後で苦しむ。それならお引き受けし、宗門の皆さんの期待に沿わなければならない」との深い苦悩を抱かれながら、全国の門徒同朋の負託に応えんとして、宗憲を遵守し、率先して本願念仏のみ教えを聴聞せられんことを表白して、門首の座に就かれました」と述べられたひとことが特に印象に残る。
門首就任に際して抱かれたひとかたならぬ苦悩の一端を洩れ聞くにつけて、今春四月、やはり門首就任十年について、新聞のインタビューに応えて話されたことが耳の底に甦った。
「教団問題は一般的に紛争は終ったといわれますが、紛争は解決したからといって、この問題は解決するわけではなく、宗門に身を置く私を含めた一人ひとりのもっている体質そのものが常に問われているのだと思います」というひとこと。
ここに言われている教団問題とは、「開申」を発端に起こった大谷派教団内の問題のみでなくて、近代日本社会に群発した問題と引き離すことのできぬこと、特に部落差別、靖国神社をめぐる問題と連動して、時代社会に存立し、人類の歴史と共に生きる我が真宗大谷派教団そのものが根底から問い直され、改めて真宗再興の本流に預ろうとする新発端である。
この就任時に門首の抱かれた苦悩はいかばかりであるかは、まったく計り知れない。おそらく大谷家のお一人であることの苦悩もさることながら、真宗大谷派教団とはある意味における特に縁の深いお一人、公人大谷暢顯師にとって私的個人を超えて重い職責を荷担うて起とうとする、文字通り捨身の行為でなかったか。その決断に不思議にも何かが私自身に伝わってくる。何かが。同時に教団への関わり方(我が人生に処する基本的関わり方)が改めて我が身に問い直される。今も。――それは何だ。

もっと悩まねばなりません。人類のさまざまな問題が私たちに圧しかかっているのです。安っぽい喜びと安心感にひたるような信仰に逃避していることはできない。むしろ、そういう安っぽい信仰を打ち破っていくのが浄土真宗です。――安田理深――

と語りかけて下さった先師。浄土真宗を生きられた宗祖親鸞聖人。
浄土真宗たる僧伽。南無阿弥陀仏の歴史。
南無観世音我に負ける力を与え給え

(『ともしび』2007年1月号掲載)

お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199
真宗大谷派教学研究所
TEL 075-371-8750 FAX 075-371-8723