宗祖としての親鸞聖人に遇う

知恩から報恩へ

(鶴見 晃 教学研究所所員)

 新聞を読んでいて、はっとした。五木寛之氏が『親鸞』の連載を終えたコメントで「学者や宗門の人たちが考えているほど親鸞の名前は広く知られてはいない」と語っていたからだ(二〇一四年七月十一日付『京都新聞』)。五木氏は続けて、「第一部が書店に並んだとき、若い青年の一人が連れの女性に、『オヤドリって何だ?』と、たずねているのを聞いたことがある。『しんらん』という人がいたのだ、と多くの人びとに知ってもらっただけでも、私は十分に仕事をした甲斐があったと思っている」と語っておられた。
 そんなに知られていないのか、ということで驚いたのではない。知らない人が多いとは思ってはいたが、それでもこうはっきりと言われたとき、〈君は親鸞という名や教えの言葉が通じる世界にどっぷりと浸かっているのではないか〉という言葉が聞こえた。
 親鸞聖人がどれほど知られているかは勿論不明だが、世界を思わずとも、知人と話していて、「シンラン?」と思い出そうとしているのを見ることはよくあるし、そもそも生活の領域での宗教の位置がかなり低下している現代社会である。生活をしている大半の人は、日常の中で親鸞という存在を意識することはないだろう。その意味で、親鸞という存在を知らないこと、ほとんど意識しないことの方が普通であると言っていい。
 そのような時代を思ったとき、あらためて親鸞聖人の

 

浄土真宗は大乗のなかの至極なり。

(『末灯鈔』聖典六〇一頁)

という言葉が想起された。この「至極」という言葉には、「浄土真宗」という仏道が、民族も言語も超え、過去にも未来にもはてなく、衆生を救うということへの決定的な頷きが表れていよう。そして、この頷きには、「浄土真宗」によって救われるべき無数の人びとの発見がある。吉水の僧伽との出遇いは、僧伽を超えて限りなく広がる世界への目覚めでもあったのである。ちょうど八百年前、親鸞聖人は越後から関東へ向かっているが、それは、法然上人との死別を経て吉水の僧伽との出遇いを確かなものにするための旅であったに違いない。自分はおろか、法然上人もその教えも知らない人びとに「浄土真宗」を伝える。出遇いえた「浄土真宗」が自らにそれをとどめおくことを許さない。知恩から報恩へと躍動する親鸞聖人の姿がそこにあるように思う。
 親鸞聖人を知らない無数の人びとがいる。しかし、それを横目に見て、親鸞聖人のことが通じて当たり前の世界を自分の世界とし、世界の中心と思っている。そのような、親鸞聖人に出遇うことを、希有なことではなく、当たり前のこととして生きている自分の姿を指摘されたように思う。

(『ともしび』2014年9月号掲載)

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