えっ!仏教語だったの?

か行

開発(かいほつ)

仏教で用いられる開発(かいほつ)は、仏となる性質、つまり、自らの仏性を開きおこし、まことの道理をさとることを意味する言葉です。それが現在では開発(かいはつ)と呼ばれて一般化しています。そういう使われ方は、かなり古い時代から、たとえば「新田開発」などのように使われています。人の手が入っていない原野などの未開地を新しく開墾する際に使われたのでしょう。
明治以降は、それがより大々的に「北海道」開発、「満蒙」開発、地域開発などという極めて政治的な、時として侵略的な国家プロジェクトとして開発(かいはつ)の言葉は一世を風靡しました。戦後の高度経済成長期においても、私たちの現世的な幸福の代名詞として使用されてきました。
しかし、仏教でいう開発(かいほつ)は、そういう開発(かいはつ)とは全く違って、たとえば、日本の場合でいえば、アジアの自然と労働力を踏み台にし、人間としての豊かな感性まで見捨てて生きる、ある意味での開発(かいはつ)至上主義者として突っ走る私たちを根本から問う言葉です。
いまアジアの仏教者の中には、仏教が明らかにする万人共生の大地に目覚めて、社会のあらゆる問題(貧困・環境・エイズ問題等)に関わりをもち物心両面の開発(かいほつ)に取り組む開発(かいほつ)僧、尼僧が活躍しています。

尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授
月刊『同朋』2003年10月号より

我慢(がまん)

胴上げが、合格発表の場面などでよく見うけられます。(遊びたい気持ちをよくガマンして勉強したね、おめでとう)。「我慢」のもとの意味は、実は「胴上げ」が象徴しています。「慢」という字は「思い上がりの心」を示しています。どのように思い上がるのかというと、我というものにこだわって、自分で自分を胴上げ?するのです。みんなから胴上げされるのと違って、ちょっと寂しいすがたです。
仏教は諸法因縁生(しょほういんねんしょう)を説いています。すべてのことはお互い因となり縁となりながら、深く関係しあって存在しているということです。そこに私たちを支えている大地があります。しかし、その諸法因縁生を無視すれば、自分を支える大地をも失ってしまい、あとは自分で自分を支えるしかありません。自らを高く挙げる(高挙)ことによってしか生きることができないと思い込んでいる私たち。我慢とは、諸法因縁生に暗いという「根本的な迷い」を生きる私たちのすがたを指し示しているのです。
たとえどんなに謙虚でガマン強い人でも例外ではありません。わたしたちは、仏の言葉をとおして、諸法因縁生という大地の存在を知らされることがない限り、永遠に自分で自分の胴上げをしていくことになるのです。
「猶(なお)し大地のごとし、浄穢(じょうえ)・好悪(こうお)、異心(いしん)なきがゆえに」(真宗聖典55頁)。大地を知らされ、自らの胴上げから解放された仏弟子たちの感動の言葉です。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2002年3月号より

祇園(ぎおん)

花のかんざしだらりの帯に、ポックリをはいた舞妓さんが歩くベンガラ格子の街なみは、京都の祇園ならではの風情である。田舎から京都に出てきた私には、舞妓さんは憧れの的であったが、今だに祇園街には縁がない。祇園といえば、今では多くの人が、京都の祇園かあの絢爛(けんらん)たる八坂神社の祇園祭を想うのではなかろうか。
しかし、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と『平家物語』の冒頭に出てくるように、この祇園精舎は、インドのお釈迦様が覚りを開いた後、最も多くとどまって説法された場所の名前である。
伝承によれば、舎衛城(しゃえじょう)の長者・スダッタ(給孤独・ぎっこどく)が、帰依(きえ)したお釈迦様に僧院を寄進しようと、その土地を捜した。そしてジェータ(祇陀・ぎだ)太子の所有する土地が理想の場所であると定めた。ところが、太子はその土地を長者に譲ろうとしないばかりか、たとえ金貨を大地に敷しきつめてもここを譲らぬ、というのである。それを聞いたスダッタが、この土地に実際に金貨を敷き始めると、太子は、彼のお釈迦様に対する帰依の深さに感銘を受け、その土地の喜捨(きしゃ)を申し出たのである。そればかりか、僧院の建築に必要な材木(祇樹・ぎじゅ)をも寄進し、ここに、太子と長者が共同でお釈迦様に捧げた精舎が、建立されたのである。インドでは雨季、教化に歩くことができないため、お釈迦様は一箇所にとどまって説法された。それを安居(あんご)というが、お釈迦様は、ここで二十五回もの安居を行ったといわれている。多くの人々を救うための法が説かれたこの精舎は祇陀太子と給孤独長者の徳を偲び、二人の名前にちなんで祇樹給孤独園精舎(祇園精舎)と、呼ばれたのである。
京都の八坂神社は、明治四年の神仏分離令までは、この祇園精舎の名を取って祇園感神院と呼ばれる比叡山延暦寺の別院であった。それが八坂神社と改名されたが、その祭礼は祇園祭と呼ばれてその名を残し、その門前町が祇園として残ったのである。今では、その祭りや街の名前だけが、京都を代表するものとして残ることとなったのである。

延塚知道 大谷大学教授・真宗学
大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より

快楽(けらく)

どう見てもこれは、「快楽(かいらく)」としか読めない。ついついエッチなことを想像してしまいます。しかし仏典では「快楽(けらく)」と読みます。字引には、「安楽。永遠のたのしみ。浄土のたのしみ」などとあります。また『仏説無量寿経』には「すでに我が国に到(いた)りて、快楽安穏(けらくあんのん)ならん」と記されています。
先日、お葬式で亡くなられた方のお顔を拝見しました。すると実に安らかな寝顔のようなお顔でした。私は、これが本当の安楽かもしれないと感じました。なぜなら、もう二度と起きなくてよい、働かなくてよい、食べなくてよい、争わなくてよい、病院に行かなくてよい、勉強をしなくてよいのですから。この世の楽には、やはり限りがあります。食欲や性欲や物欲は限界があります。眠っているときでも内臓や意識は動いていますから、どこかに緊張があります。
やっぱり本当の意味の楽とは、この世を超越していくところにあるようです。私たちは「一寸先は闇だ」といいます。つまり、「一寸先は死」だと。しかし、一寸先にこの世を超越できる出口があるということは幸せでしょう。一寸先に安楽への出口があるからこそ、この世を生きてみようかという意欲も湧いてきます。もしこの娑婆(しゃば)の生活に終わりがなく、永遠に続くことを考えるならばゾッとしますね。

武田定光 たけだ じょうこう・東京都因速寺住職
月刊『同朋』2001年1月号より

玄関(げんかん)

玄関のない家はないでしょう。玄関はどのお宅にもあります。しかし、「玄関」はもともと仏教語だったのです。もとの意味は「玄妙(げんみょう)な道に入る関門」です。つまり悟りへの関門ということです。
玄関は内と外を分ける扉です。外へ出ていくところであり、外から内へ入るところです。出ることと入ることの両方を成り立たせる場所が玄関なのでしょう。出るだけの玄関もありませんし、入るだけの玄関もありません。入と出を共に成り立たせることが「玄関」のはたらきなのです。
親鸞聖人の著書に『入出二門偈頌文』があります。"入門と出門の二つのうた"と読めます。しかし、これは「入る門」と「出る門」の二つの門があるということではないように思います。むしろ、ひとつの門に二つのはたらきがあるといっているのでしょう。つまり「浄土へ入るはたらき」と「浄土から出るはたらき」のふたつです。
そういえば、「この世」を超え出る宗教はたくさんありますね。「この世」を超え出て「あの世」なる世界へ行く。しかし「あの世」で止まってしまいます。もう一度「あの世」を超えるという課題が残ります。『ブッダのことば』(岩波文庫)には「この世とかの世をともに捨てる。あたかも蛇が古い皮を脱皮して捨てるようなものである」(下線筆者)と繰り返し語られています。「この世とかの世をともに捨てる」という<永遠の課題>が大切に思われます。

武田定光 たけだ じょうこう・東京都因速寺住職
月刊『同朋』2001年4月号より

金輪際(こんりんざい)

「金輪際、悪いことはいたしません」。この「金輪際」という言葉は仏教語だったんですね。辞書によると、私たちが暮らしている大地の最下層の底のことだそうです。
私たちが「金輪際○○○」と言うときには、もうこれより他はないという決意や決断を含んだ意味合いで用います。私にはこの「金輪際」という言葉が、親鸞聖人のいわれる「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」(真宗聖典627頁『歎異抄』第2条)の「地獄」と同じような意味に聞こえてくるのです。この地獄より下はない。地獄の底に堕ちてしまえば、そこが安心の大地なのだよと聞こえてきます。
お正月に神社でおみくじを引いたひとがいます。大凶だったそうです。彼は「いまが大凶なんだから、これからはよくなるいっぽうだ!」「おみくじの中から数少ない大凶を引き当てるのは、逆に幸運なんだよ!」と強がっていました。彼ばかりでなく、誰しも大凶がいやなんです。この大凶の正体を突き詰めてゆくと、生老病死に行き着きます。
しかし、人間はこの世に生まれたとき「生と死」を同時に手に入れているのです。誕生は生だけでなく死も生み出してしまうのです。そういう意味で人間は、すでに「生まれる」という大凶のおみくじを引き当てているのです。それも決して吉に転ずることのない大凶です。もともと出発点が大凶なのだから、吉の夢に破れることもないのでしょう。ここに「金輪際」おみくじに頼らなくてもよい、生きる勇気があるように思います。

武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職
月刊『同朋』2002年4月号より