ラジオ放送「東本願寺の時間」

多田 孝圓(大阪府 圓乗寺)
第4話 いのちの輝き [2007.10.]音声を聞く

おはようございます。今朝も前回に続いて、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマである"今、いのちがあなたを生きている"という呼びかけについて、どのように聞かせてもらっているのかをお話させていただきます。
前回は、お釈迦さまが説かれました「生・老・病・死」、すなわち人間として生まれ、歳を取り、病となり、やがて死を迎える人生のなかにおいて、人間として本当に生きる意味とは何か。それを私に問い、呼びかけ続けているのが、いのちの願いであるということをお話しました。
このいのちの願いは、老いも若きも今、いのちをいただいているすべての人にいのちの願いがかけられています。
『死を看取る看護』の著者、石川左門という方の息子さんに、石川正一さんという人がおられました。この正一さんは、幼稚園のころに筋ジストロフィーという全身の筋肉が弱っていく病気にかかり、23歳の若さで亡くなられました。正一さんは、23年の生涯において、身体の自由が効かないなかにあって、頑張ろうと思っても頑張れない。働こうと思っても働けない。そういう自分が生きるということは、どういうことなのか。私が生きる価値とは何か。そのことを一生懸命考えたのです。
そこで、正一さんの到達した一つの観点は、生きるということは、何かの手段や方法ではなく、生きることそのものであるということを捉えておられます。正一さんは、病気が進行するなかにあって、多くのことを学び、悔いなく生きようとされましたが、完全燃焼しようと思っても完全燃焼できない自分を見ておられるのです。それは、強く生きようとされるが、強くなれない自分自身を素直に見いだしておられるのです。この強くなりえない「弱さの発見」こそ、大きな安らぎを得られ、そのままいのちの願いに委ねられ、死を受け入れていかれたのです。そこにいのちの願いが、「いのちの輝き」となって人生を全うされたのです。
先月は高齢者福祉月間であり、各地で敬老のお祝い会が開かれました。私も昨年からお祝い会の案内状をいただいております。65歳以上が5人に1人であり、さらに高齢化が進んでいきます。「21世紀は老いの時代」と言われていますが、昔は人生50年と言われ、老いは希少、稀でした。子どもが自立すれば、親が亡くなっていることが多かったのです。
今は人生70年、80年の時代です。この老いをどう過ごしていくかが問題です。できればこの老いの坂をゆるやかに下っていきたいものですが、私たちの生は、さまざまな条件によって成り立っていますから、何が起こるかもわかりませんし、同じことが続かないのです。すべてものごとは諸行無常です。たえず移り変わり、常なしであります。
病院へ行けば、すぐに「歳だから」と簡単に告げられ、「そうかな」と頷かざるをえません。健康でいつまでも元気であることを願うところですが、歳取れば。何ごとも時間がかかり、てきぱきとできなくなり。世の中、世間のものさしは、「役に立つか、たたないか、勝つか、負けるか」です。そのものさしでは、皆、最後は負けていくのです。そこで「老」老いるということをマイナスイメージで捉えてしまい、今は「老人」と言わずに「高齢者」と言い換えたりしています。
老いを重ねれば、新しいことは覚えにくいですが、今まで気付かなかったことに触れることができ、知恵が深まるのです。何よりも仏さまの呼びかけに耳を傾け、仏さまの声をふと聞かせていただきたいことです。歳を取り、病となることをとおして、お念仏のご縁が深まり、「ようここまで来させてもらった」と、今を見つめ、今の私が大切に思えるとき、いのちは輝き、優しく、生きる喜びをいただけるのではないでしょうか。
ある方が「老いや病や死が、人生を輝かせてくださる」とおっしゃいました。まことにいのちの願いを述べられた言葉であり、深く味わっていきたいものです。

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