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正信偈の教え-みんなの偈-

歓喜地

【原文】
宣 説 大 乗 無 上 法
証 歓 喜 地 生 安 楽

【読み方】
だいじょうじょうほう宣説せんぜつし、
かん喜地ぎじしょうして、安楽あんらくしょうぜん、と。


 釈尊は、『りょうきょう』というお経をお説きになりました。このお経のなかで、後の世に龍樹りゅうじゅという名の菩薩が出て、世間の誤った考え方をただすであろうと、釈尊は予告されました。
 さらに、この龍樹という菩薩が、「大乗というこの上になくすぐれた法を述べ伝えるであろう」ということ、また「歓喜地というさとりを得て、安楽国、すなわち阿弥陀仏の極楽浄土に生まれるであろう」ということ、このような予告をも釈尊はなさったのでした。
 そのことが、「正信偈」に、「宣説大せんぜつだいじょうじょうほう しょうかん喜地ぎじしょう安楽あんらく」(大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と)と詠われているわけです。この二句の前半の「宣説大乗無上法」については、その大まかなところを前回見ていただきました。
 後半の「証歓喜地生安楽」(歓喜地を証して、安楽に生ぜん)というところですが、「歓喜地」というのは、菩薩が到達されるさとりの境地のことです。
 そもそも菩薩といいますのは、悩み苦しんでいるすべての人びとを救いたいと願い、そのために自分も仏に成りたいと願って、仏に成るための修行に励む人のことです。菩薩が仏に成るために実践する修行は、ろく波羅はらみつといいます。布施ふせ波羅蜜(完全な施し)・かい波羅蜜(決まりを完全に守ること)・忍辱にんにく波羅蜜(完全な忍耐)・精進しょうじん波羅蜜(完全な努力)・禅定ぜんじょう波羅蜜(心の完全な集中)・般若はんにゃ波羅蜜(完全な智慧ちえ)、これらを完成させる修行を六波羅蜜というのです。波羅蜜とは、完全とか完成とかと解釈される言葉です。
 初めてこの志を立てた菩薩を初発心しょほっしんの菩薩といいます。初発心の菩薩が、六波羅蜜の行を開始してから、これが完成して仏の境地に達するまでには、多くのさとりの段階があるとされています。経典によって、この段階の数え方はさまざまですが、古くから、最も整ったものと見られてきたのが、『瓔珞本ようらくほん業経ぎょうきょう』というお経に説かれているものです。
 このお経によりますと、初発心の菩薩が六波羅蜜の修行を完成させて仏に成るまでには、五十二の菩薩の階位を経なければならないとされています。十信位・十住位・十行位・十廻向位・十地位・等覚とうがく位・妙覚みょうがく位の五十二位です。これらの段階でそれぞれに六波羅蜜の行の中身を深めなければならないとされているのです。
 『瓔珞本業経』に従いますならば、「歓喜地」といいますのは、十地の最初、第一地(初地位)のことです。つまり、下から数えて四十一番目の段階になります。この境地に到達しますと、何が真実であるかということが明確に体得され、間違いなく仏に成れるという確信が得られるといわれているのです。そして、この確信が得られますと、何にもたとえようのない喜びがわき起こってくるので、この境地を「歓喜地」と名づけているというわけです。
 しかし、親鸞聖人の本願他力の教えからしますと、「歓喜地」というのは、自らの修行によって到達する境地ではありません。阿弥陀仏の願いによって、自分が間違いなく浄土に往生させてもらえること、そのことを身にしみて喜べるようになれるとき、それが「歓喜地を証する」ことになるのです。阿弥陀仏よりたまわっている信心を素直に受け取り、施し与えられている「南無阿弥陀仏」を、一切の迷いや疑い、はからいから離れて、虚心にいただけること、これが「歓喜地」であると聖人は教えておられるのです。
 親鸞聖人が、龍樹菩薩について、「証歓喜地生安楽」(歓喜地を証して、安楽に生ぜん)と詠っておられますのは、龍樹菩薩が、本願の念仏を心から喜べる身になられたということ、そしてそのことによって、安楽国、すなわち阿弥陀仏の極楽浄土に往生されたのだということ、それを私たちに教えておられるのです。
「正信偈」には、「歓喜」とか「きょう」とか、喜びの気持ちを表わすお言葉が随所に見られますが、それは念仏を喜ばれた親鸞聖人のお気持ちが率直に表明されているからだと思います。真実の教えに触れることは、本当にうれしいことなのだということを教えられているように思うのです。

九州大谷短期大学長 古田和弘

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