ラジオ放送「東本願寺の時間」

荒山 敏秀(北海道 生振寺)
第2話 「伝わる」 [2010.1.]音声を聞く

おはようございます。白山でございます。担当の二回目のお話をさせて頂きます。
いのちとは伝わるものであります。そして伝える意思であります。元九州大谷短期大学教授の平野修先生がこう言っておられます。
「なるほど先祖のおかげには違いないがその先祖の初めがお釈迦様ならまことに有り難い」。普段私どもは自分たちが受け伝えていくのはいったい何かということに人生の意義を見出しているのでありますが、この言葉はそのことを今一度問うて来る言葉に思えてならないのです。
先日、あるお寺の、親鸞聖人の、年に一度のご法事である報恩講のお手伝いで、仏具のかざりかえをしていた折に、障子でさえぎられた参詣席の方から八十を越えるであろうご婦人方の会話がとぎれとぎれにきこえて参りました。「昔、私達が若い頃は住職さんがこの世で一番エライものと思っておりました。」後の言葉は聞き取れませんでしたが、どこかこそばゆい思いと同時に、何故その時代にそういうことを感じていたのであるか、それは別に住職の人格がすばらしい、そういうことを言っているのではなくて、私達はお寺という所は何よりも大切なものを伝えて行く場所だ、そういう風に考えていたということなのでしょう。しかしその後の聞きもらした会話が私には気にかかります。今は違うのだ、今一番エライ者は誰なのか、それは金を抱えた者か、権力を持った者か、一体それは誰なのか。
平野先生は、人間が伝えていかんとするもの、それは血でも金でも権力でもない。お釈迦様によって見出された、生きるいのちのまこと、南無阿弥陀仏の呼び声であります。そういうことを受け伝えていく者が人間であります。そのことをしっかり受け伝えなければ私達がこの世に生まれた意義はどこにもないし喜びもそこにはないのだと言わんとしたのでしょう。
私のお寺の、念仏者の代表である総代さんの一人が胃癌を患い亡くなった時のことを思い出します。私はなかなかお見舞いに行こうとせず、そろそろ危ないという噂におされてやっとお見舞いに参りました。病室の前で座っておられた若奥さんが私の顔を見てかけ寄って下さいまして、「せっかく来て下さったんですが、うちのじいちゃん誰が来ようと、たとえ仲の良い幼な友達が来てもブスッとして壁を向いてしまうんです。住職さんに失礼あるかもしれません。」とのことでした。しかし、いざ病室に入ると閉じていた目を開いてニコッと微笑まれ、口から出た言葉は「ああ住職来てくれたか。」その後の言葉は出ませんでしたが、私にはこう聞こえました。「待ってた。」入院して初めての笑顔、そして初めての言葉、あれが最後だったということでした。私はこの人に出あって来たのだろうか、いろんな意味でくやまれます。
私達は一体何を待っているのであるか。お寺は一体何を伝える所であるか、生きるいのちの謎がはっきりしなければ人は生きて行けないし、死んでも行けないのでしょう。しかもその謎は向うから私を呼んで、求めて止まぬものです。お釈迦様がめざめたその時から知らぬ間にそういう生を重ねている者、それが私達なのかもしれません。いのちの呼び声を受け伝え受け伝えて、初めて生きることが満たされる者それが私達でありましょう。
真宗大谷派の僧侶を養成する京都専修学院の元院長である信国淳先生が、ご自身の人生の道を決定してくださった恩師に出遇った感動を奥様に伝えた時の言葉の中にこうあります。「僕は浄土に行く君はどうするか」これこそ人間の奥底に受け伝えられた呼び声なのでしょう。この言葉を身をもって生きて下さったお釈迦様と親鸞聖人。出遇いしそのいのちのまことを問うてみたいと思います。

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