ラジオ放送「東本願寺の時間」

白山 敏秀(北海道 生振寺)
第5話 「深き闇に生きる」 [2010.1.]音声を聞く

おはようございます。白山です。五回目のお話をさせていただきます。
眼病を患って3年ばかりの間に、何度か入退院を繰り返しました。煩わしい世事から離れての病室。どうでもいいことは極力、心から追い出しながら過ごして、最後に自分の中に残ったものは「死にたくない」という子供の頃からの叫びだけだったように思います。これが自分の正体だったのか、思えば随分長いこと、この我が思いに馳せ使われて来ました。金が欲しい、名誉が欲しい、健康でいたい等々。そのどれもが「死なないように生きる」と言う一言に象徴されるように思います。
退院して間もなく親交深かった妻の従兄弟が、転勤先の茨城の地で亡くなりました。肝臓癌でした。奥さんの願いで故郷の北海道の私が住職をつとめさせて頂く寺で葬儀をと、ご遺体を空輸して本堂に安置しました。生前のままの、まだ体温のあるかの様な死に顔を前にして、説教を喰っている私がそこにいました。彼は全生涯を抱えたその遺体を以ってこう言うのです。「死なないように死なないように生きてきたお前よ。それは嘘だ、嘘は必ず自分自身にバレるものだ。名残惜しいだろうけれど、いつ終りが来ても終っていけるお前でいてくれ。たのむからこれから僕と一緒に死ねるように生きよう。」死ねるように生きるとは一体どういうことなのでしょうか。
小学校低学年の生徒の一文に触れて驚いたことがあります。「僕が死ぬ時は、ちょうど夏休みが終る時のようにあっという間だったなあと思うのだろうか」この子は想像力のある子だなあと思いました。それは呼び声を聞き得る力ということです。
おそらくこの子にはおじいちゃんおばあちゃんがいらして近々に亡くなられたのかもしれません。その全生涯は南無阿弥陀仏となって孫であるこの子に捧げられ彼の人生の中で止まぬ、大きな問いとなりました。うらやましい限りです。今さら間に合わぬことながら、我が人生を振り返って見れば、この世で出会ったあらゆる人や物柄全てが、このこと一つを勧めて下さったように感じられます。大きなそして、深い、人間の思いでは応えられない問いの中にいます。人は迷いの言葉や思いでは動きません。願いの中に生き、その問に動かされるとき初めてそのことを、「生きる」というのです。
ある時、刑務所での宗教の勉強会で、一人の年老いた被収容者からこんな話を聞きました。プライバシーに配慮して、具体的な状況は変えてありますが、おおむね以下のような内容でした。
その方は胸に桜のワッペンをつけておられました。模範的な受刑者という意味です。このお陰でその方は今度仮出所出来ることになりました。その方がこういうことを言われました。「若い時ふとしたことで道を踏み外し、ここへ入りました。やっと勤め上げて家に帰ると親も兄弟も親戚も私を厄介者扱いしました。よーし、それならこっちの方から縁を切ってやる。それから天涯孤独になりました。さみしかった。」その方は続けて「シャバでは元囚人というワッペンをつけて誰にも相手にしてもらえません。お金で人について来てもらいました。お金が尽きるとまた盗み、そしてここに逆戻り、また頑張って桜のワッペン、出ては盗み、一体どれくらい繰り返したことか。」そういった内容のことをおっしゃいました。
そして最後に「でもね、悪いことしてやろうとは一遍も思ったことないです。ただ、自分の人生にあらわれる人みんなに会いたくて、会いたい一心でこの歳まで生きて来ました。でも、みんなに会いたくて生きた私の人生は、結局、みんなを自分の所有物のようにあつかいたかっただけの人生なんですよね。そのおかげでずっと一人ぼっちでした。いろんな先生方に教えてもらってやっと見えて来たところです。愚かなことです。」という意味の言葉で結ばれました。
私は心の中で手を合わせました。それは私のことです。教えてくれてありがとう。求める心浅ければ、その対象である、この世の全ては私を苦しめます。求める心深ければ、その対象である、この世の全ては教えになって私に向かうのです。

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