27.映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を観て

日野 幸子(小松教区)

■私の人生の課題

 新型コロナウイルス感染症が流行り出してから、コロナ関連のニュースを聞かない日はありません。そんな中、毎日世界中で沢山の方々が亡くなる報道を耳にする度に、とても寂しさを感じていました。実際、「自分がコロナに感染したらどうなってしまうのだろう」という不安もあったと思います。そして、何故この様な寂しさを感じるのか考えてみました。すると、“自分の死の問題”に起因することがわかりました。自分が死ぬことを考えた時、「後悔のない生き方をしているのだろうか」、これは常に私の人生の課題であるのですが、その問題が再び今回の新型コロナウイルス感染拡大の事象によって浮き上がってきたのです。

■劇場版「鬼滅の刃」を観る

 そんな時でした、たまたま「鬼滅の刃」の映画を知りました。そういえば一年ほど前から娘がよく見ていた漫画でした。その頃は、鬼が人間を食べるなんて、と特に興味はありませんでした。ところが、テレビでアニメが放映されて、娘が見ているのを家事の合間にチラチラ見ているうちに、家族を鬼に惨殺され、鬼になった妹・禰 豆子(ねづこ)を人間に戻すために鬼に一生懸命立ち向かっている主人公・炭治郎(たんじろう)の姿にとても興味が湧いてきました。そして、劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」の映画を観てみようという気持ちになったのです。

  「鬼滅の刃」には、鬼を殺すために選ばれた「鬼殺隊」という剣士たちがいます。映画の中では、その鬼殺隊の中で最も位の高い剣士の一人である「煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)」(煉獄さん)がメインキャラクターとして登場します。そしてその敵役として登場するのが、鬼側のボスの一人、「猗窩座(あかざ)」です。

■「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」

 猗窩座は己の強さを高めていくことに喜びを感じる鬼です。猗窩座は闘気みなぎる煉獄さんを見て、鬼にならないかと誘います。この作品において鬼とは、人間を食べ続ければ老いて死ぬということがない存在です。鬼になることで仲間となって一緒に鍛錬しようと提案するのです。しかし煉獄さんは猗窩座に対して次の言葉をきっぱりと言い放ちます。

 「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ」

  煉獄さんの言葉には、老いることや死ぬことをしっかりと受け止めた上で、人生には喜びや悲しみ、つらさ、挫折、本当に色々あるけれども、自分の置かれた環境においてやるべきことを考え生きていこうとする潔さや、物理的に満たされる満足以外に内面的な心の豊かさが感じられました。

  その言葉の裏には煉獄さんの母親の存在がとても大きく影響しています。かつて病を患い、余命幾ばくもない時期に、母親は煉獄さんに言葉を残します。「生まれ持って才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わなければならない。弱き人を助けることは、強く生まれたものの責務である」。そして「あとは頼みます」と煉獄さんをギュッと抱きしめ願いを託します。その願いをしっかり受け止めた煉獄さんは、自分の責務を全うする為に心を燃やし、限界を超えた力を出し切って、猗窩座との死闘を繰り広げ、最後は相打ちとなって命を落とすのです。

  それを目の当たりにした炭治郎たちは、自分たちの無力さと煉獄さんが死ぬ悲しみに打ちのめされます。しかし、煉獄さんが亡くなったという現実と向き合い、煉獄さんの願いを受け継ぎ、戦いで疲れ切り悲しみの中でもがきながらも新たな一歩を必死に進んでいこうとします。ここに、願いに生きる強さを強く感じました。

■父の死を通して感じたこと

 映画を通して、私は二十年前の父親との死別を思い出さずにはおれませんでした。ガンを患い弱っていく父に、私は何もしてあげられませんでした。父が亡くなった後、その後悔は十二年間続きます。しかし、後悔を引きずり続けてつらい毎日を送っていた中、ある時、「後悔が残るような生き方をしてきたなら、これから後悔のない人生を送りなさい」という言葉を、亡き父からのメッセージのように感じることがありました。

 「愛別離苦(あいべつりく)」の言葉が示すように、生きていれば近しい人との死別は必ずやってきます。親であったり、連れ合いであったり、友人であったり、子どもであったり。自分にとって関わりが深ければ深いほど、その現実は耐え難いものであります。ですがその死別を機に、亡くなった人との関わり方を振り返り、それが新たな出遇いとなり、生きることの出発点になることがあります。

  「鬼滅の刃」には鬼と人間が登場しますが、それはすべての人の心の中に生まれながらに誰もが持っている鬼の部分を表現しているのだと思います。そしてこの作品からは、願いを受け継ぎ、その願いに促され、その願いを生きる勇気に変えていくという宗教的なメッセージが感じられます。

  世の中のものはすべて変化していきます。お店や道や世の中の仕組み、家族も、そして自分も変化していきます。自分の望む形にとどまってくれないからこそ、何気ない日常の中の出来事が尊く思え、大切に感じます。アニメは架空のものではありますが、アニメを通して現実の問題点に気づき、出遇えるのなら凄いことだと思います。

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