ラジオ放送「東本願寺の時間」

尾畑 文正(三重県 泉稱寺)
第3話 今、いのちがあなたを生きている [2006.1.]音声を聞く

おはようございます。寒さがひときわ身にこたえるのは年を取ったせいでしようか。幼い頃、鈴鹿おろしの吹きすさぶ北風の中、伊勢湾に面した海岸で鼻水たらして遊んでいても何ともなかったのに、なんという変わり方でしょうか。足腰まで軟弱になってます。
しかし、変わったのは私の身体だけではありません。私を取り巻く風景もすっかり変わってしまいました。故郷の白砂の美しい海岸もすっかり埋め立てられ、今は近代的工場の群れです。「我は海の子、白波の」と唄われるにふさわしい、私にとっての故郷は、もはや思い出の中にしかありません。それでも、故郷は懐かしいものです。
ところで、最近、64年前に故郷を離れ、64年ぶりに故郷に帰った人がいます。その方は、岡山県邑久郡長島にある国立療養所長島愛生園に生活されている田端明さんです。田端さんは、私が勤めております名古屋の同朋大学の公開講座で、ハンセン病についてお話をしていただいてからのお付き合いです。その田端明さんが、この度、故郷、三重県久居市に帰られ、その感動をつづられた歌集『故郷に咲いた石蕗の花』を出版しました。
この歌集は三冊目ですが、その本の中で、田端さんは強制隔離以降はじめて実家の門をくぐって、お内仏に手を合わせた胸のときめきを次のように書いています。
「64年前、後ろ髪を引かれる思いで別離の涙を流して出た我家の玄関に恍惚として私は今立っている。(略)。お仏壇の前に正座して父母に「ただ今戻りました」と、喉を引き絞る様に挨拶した。お念仏が口を割って出た。後は涙、涙」と記しています。
ハンセン病差別の只中で、64年ぶりにお内仏に対座して、お念仏申している田端明さんのお姿に、私は64年の間、故郷を離れて、なお故郷を思い続けた人が、64年の果てに、念仏申す中で、壊れもしない、朽ちもしない、汚れもしない、本当の故郷、それは言葉を換えて言えば、人間が人間になることのできる立脚地を見い出すことのできた喜びを感じます。
また、それと同時に、田端明さんのように、ハンセン病を患った人を、社会と切り離して終身隔離するような法律を支えた、私たち自身の差別の現実に心が痛みます。もちろん、ハンセン病患者を終身隔離することを決めた「ライ予防法」は、1996年に廃止され、更には2001年に熊本地裁で違憲判決が出されています。
しかし、1907年に作られた「癩予防ニ関スル件」から数えれば、ゆうに90年にもわたる国を挙げての過酷な差別の現実は、違憲判決という快挙にもかかわらず、なお私たちの中に汚染され続けています。だからこそ、私たちの誰もが自らの差別性に気づき、申し訳なかったと懺悔することの大切さを思います。
それは、より積極的にいえば、いまもなお故郷から遠く離れて、故郷を思い、枕を涙で濡らす人たちを作り続けている私たち一人ひとりの人間観が問い直されているのだということです。ハンセン病を差別してきた国の責任ははっきりした。だから、それでハンセン病差別が解決したわけではありません。むしろ、そういう国策を支えてきた私たち一人ひとりの人間観が今問われているのです。
あらためて、いかなる人も、人を人として尊重できる人間観が、私たち自身に開かれることが、差別の現実から痛切に求められているのです。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」とは、差別の只中にあって、なお枯れずに働いている、生きよう生きようとする「いのち」の意志です。それは縁起するいのち、相互共存するいのちからの問いかけです。その問いかけに私たちが真向かう生活が願われています。

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