ラジオ放送「東本願寺の時間」

日野 賢之 (石川県 西照寺)
最終回 戦争と真宗音声を聞く

 これは私が私の父から聞いた話ですが、毎年、特に8月15日、寺で勤めます戦争犠牲者追悼のおまいりのときに、必ず私がお話していることです。今回は、それをお聴きいただきたいと思います。
 戦争末期、大学に常駐している配属将校が、話を中止させようと、腰に下げた軍刀のさやで、壇の上の机を下からバシバシとたたき、効果無しと見るや、軍靴の音をたてて退場して行ったのをまったく意に介さず、大拙、鈴木貞太郎先生の挨拶は なお静かに続けられたということです。
 〝本当に惜しいことである。いったいどんな理由(わけ)があって アメリカの青年と日本の青年が殺し合わねばならんのだ、こんなバカげた戦争がいつもで続くのか、わしは、この戦争で日本が勝つか、アメリカが勝つのか、そんなことは知らん、しかし、この戦争はいつの日にか、必ず終わる、終わったあとの新しい時代と世界を築くのは、まさに若き諸君の仕事だ。故に諸君はこの戦争で決して死んではならない。捕虜になってもよいから、生きて還ってこなけならない〟
 学徒出陣の波が押し寄せ、学業を中断して大学から戦場へ赴かねばならなくなった学生たちの壮行会で、真宗大谷派の教団を代表して挨拶に立たれた、鈴木大拙師の言葉です。
 ただ、「鬼畜米英」の言葉のもとに、銃を向け合うひとり1人の青年の顔が、それまではまったく思い浮かぶことの無かったこと、その日の午後に、この挨拶の内容を伝え聞き、文字通り、眼からウロコの落ちる思いであったこと、その述懐ともに、私の亡くなった父は、この大拙師の話を酒に酔うたときに、何度も何度も語ってくれたことであります。
 一方、大拙師と郷土を同じくする偉大な宗教家と呼ばれたある先生は、『万歳の交響楽』という本の中で〝太平が続くと、人間が利己的になる。この利己心を打破するには、戦争はもっともよき導きである。泣いておろうが、悲しんでおろうが万歳声裡にすべての繋縛を打ち切って、つまりバンザイと叫ぶことき、一人ひとりのいろんな思いを振り切って決然としてお国の御用に身を投げ出さねばならぬのである。戦争は人間浄化の重大な神業である。私どもは戦いのために戦いを好むものではないが、戦いは人間を浄化(きよめる)する神仏のなさしめたもうところであると信じておる〟と発言しておられます。
 時代と社会を見る眼も、実はその時代、社会によって育まれたものであることにまず気付くことがなければ、その歴史を観る姿勢も悲惨としかいいようがないのでしょう。
 同じ時代に生まれ、生きながら、同じく親鸞聖人の教えに出遇いながら、大拙師にあって、この宗教家に失われていたものは、はたして何だったのでしょうか。
 同じく親鸞聖人に傾倒しながら、何故(なにゆえ)、戦争に対する見方、受け止め方が異なるのか。これは、今の私自身の切実な課題なのです。
 ちなみに、鈴木大拙師が、敗戦のあと『日本の霊性化』というテーマでお話しされた講義録があります。ここでいわれる霊性化とは、佛さまのおさとりの智慧ということです。戦争とは、決して上に立つ者だけで起こせるものではない、明治以来の社会の、学校教育の場で着実に教え込まれてきたもの、そのことによって、一般の人がほとんど、何の疑いもいだかず、もろ手を挙げて戦争に参加していった。その社会、学校教育の正体は何であったのか、ということを実に正確に、見極めておられるお話です。6回にわたってお話しさせていただきました。どうもありがとうございました。

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