

親鸞聖人がお念仏の教えを自分のところまで届けてくださった師として、生涯大切に仰がれた方々がいます。「七高僧」と呼ばれるインドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空(法然)。そして「和国の教主」と仰がれた聖徳太子です。親鸞聖人は彼らからどんな「ひかり」を受け取られたのでしょう。本号では「正信偈」をとおして、源信の教えを振り返ります。

源信僧都の時代、日本にはさまざまな仏教が伝わっていました。日常生活の具体的な心構えを説いたものから、容易にはその意図が理解できないものまで、いずれも釈尊の一代に説かれた教えとされていました。これらの中から、源信僧都が注目したのは、専ら称名念仏することによる阿弥陀仏の浄土(安養)への往生でした。
ところが、多くの人には、易しい行よりもより難しい行による方が大きな功徳があるのではないかと考えられていました。念仏するにも、専ら称える「専修」と、さまざまな行を併せて行う「雑修」とがあります。さらには、信心を持つ力(執心)にも違いがあるともされていました。世間的には、専修よりも、雑修の方が功徳が大きいように思えます。「南無阿弥陀仏」と称えるだけよりも、さまざまな善行を行う雑修の方が達成感も得られるからです。
仏道が世間の日常感覚の延長であるならば、このように考えるのが自然です。多くの仏教者たちも、そのように考えていました。
しかし、仏道は、世間を自力で上手に渡っていく方法ではなく、世間以外に出世間という世界があることを教えます。「出世間」とは、世間のありさまを問い直す世界です。源信僧都も、母親からの手紙でそのことに気づかされたのでした。
源信僧都は、『往生要集』などの著作の中で、世間の延長で仏教を捉えるべきではなく、仏がこの世界に出現したのは一切衆生を成仏へと向かわせるためだったと示しました。あらゆる衆生を平等に救おうとする仏教が、どのような修行を積めたかで違いを設けるでしょうか。そこから考えた結果、源信僧都は、雑修よりも、念仏だけを信じる専修の信心の方が深いことを明らかにしたのです。そのことは、専修によって往生する浄土は真実報土で、雑修による浄土は方便化土であると示したことにも表れています。「方便化土」は、浄土の辺地とも称されます。ここを出て浄土の中心地である真実報土に行くことは難しいといいます。
世間の中にある私は、煩悩のために、ものごとをありのままに見ることができません。そのような私に専修念仏が可能なのは、出世間からの阿弥陀仏のひかりの中にいるからです。そのひかりは私を見捨てることなく常に照らしていることを、源信僧都は明らかにしたのです。

◆次回からは、源空(法然)上人についてたずねていきます。

(わけみ あきら)
大谷大学文学部仏教学科教授
京都教区近江第25西組長光寺住職