機関紙『同朋新聞』

日本全国のご門徒の方々や各地で開かれている同朋の会を紹介します。

今できることを 何でもやろう

  • 能登教区 第7組
    佛照寺門徒

    • 橋爪 美土里さん
    • (75歳)
    門徒

かつて茅葺(かやぶ)き家屋が建ち並び、「日本の原風景」が残る地域として知られた石川県輪島(わじま)三井町(みいまち)。その中心部にある「駅カフェみい」をきりもりされる橋爪(はしづめ)美土里(みどり)さんを訪ねた。

 

輪島市によって整備された「のと鉄道」の元駅舎を活用して、2013年に開業された「駅カフェみい」。以来、地域のお年寄りが集う交流の場となり、橋爪さんは大正琴(たいしょうごと)の教室やフリーマーケットを開催してきた。また、グラウンドゴルフ場でコンサートを企画するなど、地域おこしに努めてきたという。

 

しかし、2024年1月に能登半島地震が起き、一時、店を閉める。三井町でも多くの家が全半壊の被害に遭った。橋爪さんは自宅を修繕しながら住むことができたが、長らく病気療養中だったお連れ合いの政博(まさひろ)さんを同年3月に亡くされる。そんな政博さんの姿が心中にあるのだろうか、橋爪さんは「動けるうちに何でもやろう、まだやれる、がモットーです」と話す。

 

2024年3月に再開したカフェには仮設住宅などで暮らす地元のお年寄りをはじめ、輪島市中心部や隣町の穴水町(あなみずまち)からもお客さんが集まるようになったという。加えて、カフェは全国各地からの復興支援活動の拠点にもなっている。橋爪さんは「ひどい目に遭ったけど、いろんな人との出会いもありました」と感謝する。

 

そんな橋爪さんに「真宗との出会い」を尋ねると、即座に生家の両親の話になった。「父と母は朝夕、必ずお内仏に手を合わせていました」。報恩講(ほうおんこう)などお寺へもよく連れられて行き、その時聞いた節談(ふしだん)説教の語りは衝撃的で、今も耳の底に残っているという。

 

穴水町で生まれ育った橋爪さんは、結婚後、輪島市内の保育所に定年まで勤務した。義母が元気な間は、お寺の仕事をほとんど頼っていたが、退職した頃から自分がお寺に参るようになったそうだ。熱心な聞法者(もんぽうしゃ)ではないけれど、お寺へ行くと穏やかな心持ちになる、と橋爪さんは言う。

 

念仏が体にしみ込んでいるかのように、橋爪さんの言葉の端々から「ナムアミダブツ」が聞こえてくるように感じた。

 

 

「駅カフェ みい」にてお客さんの話に耳を傾ける橋爪さん

 

 

 

能登教区通信員 経塚(つねづか) 幸夫(ゆきお)