機関紙『同朋新聞』

新春対談 木越渉宗務総長×大谷暢裕門首【ウェブページ版】

今月号からの『同朋新聞』リニューアルを記念して、大谷暢裕門首と木越渉宗務総長にお話をいただきました。

※本ページにはウェブページ限定の全文版を掲載しています。

  • 大谷(おおたに) 暢裕(ちょうゆう)
    1951年生まれ。1952年に父・大谷暢慶氏の南米開教区開教使(かいきょうし)発令に伴い家族でブラジルに渡る。2011年鍵役(かぎやく)開教司教(かいきょうしきょう)に就任し、2020年7月に第26代門首に就任。

  • 木越(きごし) (わたる)
    1957年生まれ。2021年10月に宗務総長に就任。光專寺(金沢教区第11組)住職。

能登半島地震から2年

  • ―2024年1月に能登半島地震が発生し、2年が経過しました。門首は、2024年3月に現地にお見舞いに行かれ、昨年6月の追弔法会に出仕(※1御親修(ごしんしゅう))されました。

     

    木越

    同じ石川県民として、門首が被災地に視察に行かれ、お見舞いをしていただいたこと、また昨年6月には追弔法会(ついちょうほうえ)に御親修いただいたこと、衷心より御礼を申し上げます。能登の地は、真宗の土徳(どとく)が深い土地柄ですが、地震によって住むところをなくされ、ご門徒がどこに避難されたかもわからないというお寺もたくさんある中で、門首に来ていただいたことは、非常に大きな意味を持つかと思います。

     

    能登の復興については、財的支援もありますが、お念仏が途絶えないよう、いろいろな施策を練っています。門首も、能登に行かれた際には、ご門徒と交流できたのではないでしょうか。

     

    門首

    1月1日に地震が発生した後、職員の皆さんが能登に派遣されていると伺い、私もすぐに行きたいと思っていたのですが、やっと3月になって現地を訪れることができました。その時は、地震による土砂崩れで住職さんが亡くなられた、珠洲(すず)のご寺院を訪問させてもらいました。私は初めて、大きな地震の被害を目の当たりにしたのですが、言葉では表せないような状況でした。ご子息を亡くされた前住職さんから当時の状況を説明していただきましたが、今、思い出しても、本当に心が痛みます。被災地を回らせていただいて、悲しみ、苦しみの極地というものは、こういうものだろうかと思いました。

     

    昨年の追弔法会には、家を失ってしまった方もおられる中で、多くの方が集まってくださり、お念仏を一緒に(とな)えようという気持ちを起こしていただいたことが本当にありがたかったです。本当に心に()みる、忘れることのできない法要でした。お念仏には力があるんだなということをしみじみ感じさせていただきました。

     

    木越

    本山では、1月1日に地震が起きた後、翌2日に災害救援本部を立ち上げ、3日には職員派遣とともに、救援物資を金沢から七尾へ搬入するという体制を取りましたが、現地の方々は、震災直後は生きていくのが大変で、日常ではない中で生活していく必要がありました。

     

    それでも、やはり1年経つと、自分が大事にしてきたお念仏の教え、お念仏の声を聞きたいということで、ようやく追弔法会を催すことができのだと思います。

     

     

     

    ※1 門首が法要に出仕すること

親鸞聖人を感じる

  • 木越

    2023年に勤まった慶讃(きょうさん)法要について少し振り返りたいのですが、これは両堂同時のお勤めということで、大変なことでしたね。

     

    門首

    そうでしたね。私にとっては生まれて初めての、そして最後かもしれない大きな、大きな法要に身をもって相()わせていただいたことは大変うれしく、光栄なことでした。法要期間中に参拝された方が102万人ほどとお聞きして、多くの方が真宗本廟に足を運ばれ、ともどもに大きな声で「正信偈」を唱和させていただいたことは、本当に貴重な体験でした。

     

    法要は、「さあ勤めましょう」と呼びかけただけでは、人は集いません。やはり親鸞聖人の850回目の誕生日会を賑々しくお勤めしようという心がけと、立教開宗800年をともに喜びたいという気持ちが先に立って、全国各地、そして開教区から多くの方が参拝に来られたのだと思います。それらのことを共感できた法要は、うれしい喜びに包まれたものであり、得難い機会でありました。中でも、「子どものつどい」は境内が子どもたちの笑顔で溢れかえり、はつらつとしたいのちを感じる、本当に素晴らしいつどいでした。ちょうど、私の孫も来日していたので、各教区のブースを喜んで見て回っていました。

     

    木越

    「子どものつどい」では、参加者のお子さんが参詣席で調声して、私たちはその後ろで一緒に座ってお勤めしましたね。

     

    門首

    そうです、そうです。あの光景は象徴的でした。

     

    木越

    慶讃法要をみんなでお勤めするということが、象徴されていたように思います。

     

    その慶讃法要に関する事業として、昨年には『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』「坂東本(ばんどうぼん)」(以下、「坂東本」)の「カラー影印縮刷本」を発行しました。

     

    今お手元にあるのは、『教行信証』「坂東本」の「影印本」です。こちらは、2011年に厳修(ごんしゅう)された宗祖御遠忌(ごえんき)の記念事業として発行したものです。国宝「坂東本」修復の際に撮影した非常に精密な写真が使用されています。

     

    門首

    「坂東本」は、親鸞聖人ご在世の時から現代まで残されてきたことが奇跡的なことですね。

  • 木越

    そうですよね。そして、やはりこれを見ると自筆のすごさを感じます。

     

    例えば、「行巻(ぎょうのまき)」の標挙(ひょうこ)(もん)ですが、「諸仏称名しょぶつしょうみょう)(がん)」。「真実の行」、そしてもう一つ「選択(せんじゃく)の行」とだけ書いてあります。親鸞聖人は、「真実」上に「浄土」を書き足して「浄土真実の行」に、「選択」の部分に「本願」を書き足して「選択本願の行」としています。親鸞聖人にとっては、真実の行というのは、当然浄土真実であって、当初「浄土」と書いていなかったんです。つまり、一度執筆した後、人に伝えるために、加筆されているんです。しかし、これが活字になったものだったら、加筆後の文言しか書いていませんから、親鸞聖人がどのような部分に注意を払っていたのかを読み取ることができません。自筆を見て初めてわかることです。今回、親鸞聖人の自筆を気軽に手に取って見ていただけるよう、「カラー影印縮刷本」を発行しました。これであれば、書斎に置いておき、自分の『真宗聖典』と比べて勉強することができます。

     

    門首

    書かれている字を見ると、とても力強い筆跡であることも感じますね。

  • 木越

    有名な書道家が、親鸞聖人の字を見て、何人の批判も許さない字であるとおっしゃっていました。うまいとか下手とかそういうことを言ったら、もう失礼千万だと。『教行信証』に書かれている字は、触れば切れるような力強い漢文体ですが、真宗大谷派が所有している「笠間(かさま)御消息(ごしょうそく)」という親鸞聖人の手紙は、仮名が使われています。慶讃法要の時に、大谷大学で「坂東本」と並べてその「笠間の御消息」が展示されていました。

     

    この二つを比べて見ると、「坂東本」は非常に厳しい書体ですが、「笠間の御消息」はものすごく優しい字で書いてありました。そういったものを見ても、やはり直筆のものを見るのは大事だなと感じました。

     

    門首

    大事なことですね、そのようなお話を聞かせてもらうと、あらためて親鸞聖人のすごさと熱意を感じます。

聞法のあゆみ

  • ―門首は毎朝、晨朝(じんじょう)に出仕されていますが、その後に、※2御休息所(ごきゅうそくしょ)で新門と法話を聞かれて、語り合っておられているとお聞きしました。

     

    門首

    そうですね。新門の(ゆう)は若く、まだまだこれからたくさんの時間があるので、さまざまな出()いがあるでしょう。しかし、私は、残された少ない時間を過ごしていると思っています。その中で、晨朝法話は、1回15分ほどの短い法話ですから、この時間が私にとっては、本当にベストな時間だと思っています。そして、お話しされる教導の先生も毎日のように変わります。それぞれの方が、それぞれ違ったアングルから見たこと、聞いたこと、感じたことを、浄土真宗の教え、親鸞の教えと組み合わせるようなかたちでお話をしていただいているのが素晴らしいことだと思っています。

     

    他の行事や法要があることもありますから、毎朝お聞きすることは叶いません。しかし、特段用事のない限りはできるだけ聞かせてもらっています。今朝のお話は、浄土真宗の信心はどういうことか、といった話でしたね。どれも本当にありがたいお話です。

     

    木越

    新門とはどんなお話をされるんですか。

     

    門首

    裕とは、ともに法話について感じたことを共有しています。素晴らしかったねという話だけではなく、たまには批判的な点について話すこともありますよ。

     

    ただ、裕も忙しいので、時間がある時に付き合ってもらっています。また彼は、大谷大学で勉強させてもらいましたから、私よりも多くのことを学んでいるので、法話の中でわからないことがあったら、彼に尋ねて教えてもらっています。

     

    木越

    金沢では、加賀の御示談(ごじだん)という、蓮如(れんにょ)上人の時代からの伝統があります。聞法会の法話後に、門徒同士で自分の法話の受けとめについて語り合うんです。それは、合っているとか、違うとかではなくて、自分がどのように法話を聞いたのかを表現する場でした。今では、そういう人たちも少なくなりましたが、私が大学を出た頃にはまだ多くおられて、お通夜などに行って、法話をするのが恐ろしかったものの、楽しくもありました。例えば、通夜に行きますと、一番前の列で私の法話の品評をするように耳を傾けている方々が座っているんです。「正信偈は合格、肝心なんはここからや」と、こう言うわけです。それで、通夜説教をさせてもらう訳ですが、なかなか合格はいただけませんでした。「それが聞きたかった」とおっしゃってくださった時はうれしかったです。ですから、聞く人がいるからこそ、育てられるのかなということを思います。

     

    門首

    そうですね。法話の場というものは、法話者だけでなく、聞く方がそこにおられて、初めて成り立つということですよね。

     

     

    ―先ほど慶讃法要のお話で、ご門徒と一緒に「正信偈」をお勤めできたことが喜びだとおっしゃっていましたが、毎朝晨朝に参拝に来られている方とも、「正信偈」を一緒に唱和されていますね。

     

    門首

    それが晨朝の楽しみでもあります。毎日参拝されている方もおられますから、私もしっかりとご崇敬(そうきょう)の役目を勤めなければと考えます。また、私の妻であるサチカの母もブラジル別院の「おあさじばあちゃん」と呼ばれるほど、毎朝お参りされていました。晨朝参拝が身に付くと、朝起きたらお参りをしてこないと気が済まないと思うそうです。

     

    それで、日本に来てからサチカも毎朝晨朝に出て、たくさんお友達ができました。その中のお友達の一人が、90代のおばあちゃんで、毎朝お参りに来ておられました。その方は、「私は行くところ(本山)があって、帰るところ(家)がある、これが一番私の幸せなことや」と言っておられたそうで、サチカは本当に身に染みたと言っていました。

     

     

    ※2 門首・新門・鍵役が出仕の前後に控える場所

海外の真宗門徒との交わり

  • ―門首は、ブラジルでご門徒にお育ていただいたことを、非常に大事にされていると伺いました。

     

    門首

    私は、両親とともに1歳の時にブラジルに渡りました。そこで、初めに住んだ場所は、アサイという場所でした。戦前はアサヒ(旭)と呼ばれていた日系人によってできた街です。そこに建てられた照真寺(しょうしんじ)というお寺に住まわせてもらい、育ちました。そこで出会ったご門徒方の後ろ姿は、今でも忘れません。

     

    特に、父がつくった声明(しょうみょう)会のメンバーは忘れられません。毎日、晨朝のお勤めを手伝うために、4、5人ぐらいの人がお寺に来られていました。私が4、5歳ぐらいの時でしたが、今でも、その方たちが一生懸命お勤めされていた声が耳に残っています。みんな日系のおじいちゃんたちでした。

     

    それと、もう一つ耳に残っているのはお念仏の声です。「なまんだぶ、なまんだぶ」と口癖のように唱えているお念仏が、自然と耳に入ってきました。そういったことが小さい時からの思い出です。

     

     

    ―今年の8月には、ブラジルで世界同朋大会が開催されますね。各地の同朋の方が集われますし、ご門首も楽しみにされておられると思います。

     

    門首

    本当に楽しみにしています。たくさんのご門徒方に集まっていただけたらうれしいなと思っています。みんなで「正信偈」のお勤めをすることが楽しみですね。それと同時に、日本のご門徒方に、ぜひブラジルを見ていただきたいです。今回は会場がイグアスですから、立派な滝で有名な場所です。ブラジルとパラグアイとアルゼンチンの3カ国が隣接している場所なので、一つ橋を渡ると国が変わるというとても珍しい場所なんですよ。大会後には、マチュピチュやリオデジャネイロをまわるツアーもあるようですね。

     

    木越

    どちらも楽しそうな場所ですね。私はリオに行ってみたいと思っています。

     

    門首

    リオもとてもいいところですよ。ブラジルは、魚がおいしいんですよ。他にも、鍋料理もとてもおいしいと思いますので、ぜひ食べていただきたいです。リオといえばもう一つ、カーニバルが有名です。カーニバルは2月ですが、サンバはいたるところでやっているので、ご覧いただけると思います。

世界に開かれている真宗の教え

  • ―門首は、門首就任時からかねがね、真宗は世界に開かれた教えであるとおっしゃっておられますね。世界中に南無阿弥陀仏を伝える、良い機会になるでしょうね。

     

    門首

    ニュースでは、子どもたちが食べるものがなくて困っている。ああいうのを見ると、本当に心が痛みますし、どうして人間はこういうことしかできないのか。話し合いというものがなぜできないのかと考えてしまいます。このような時であればこそ、わかち合う心、お念仏の心を広めたいですね。

     

    世界にお念仏が広がることは素晴らしいことなので、なんとか方法がないものかと、頭を絞っているのですが。人間は餓鬼(がき)畜生(ちくしょう)、もう本当にそういうところに落ち込んで、その世界から出たくないんですよね。

     

    どうやったら、人と人との間で、思いやりと、いつくしみの心を保ってもらえるようになるのか。なんとかお念仏を届けたいと思います。

     

    そのために私たち真宗大谷派がやらなければいけないことは何か。まずは足元から、一人でも多くの人にお念仏の心を知ってもらい、多くの人にその喜びを感じてもらうことができたら、素晴らしいことだと思います。

     

    少しずつですが、南米開教のかたちも変わってきていると思います。それは、私たちがブラジルに渡った1952年から長い間、開教寺院の僧侶が話す言葉は日本語だけでした。ですから、日本から移民として来られた方、そして2世以降であれば日本語のわかる方でないと僧侶の話も理解できません。

     

    私は若い頃、青年会に参加していましたが、その人たちは、みんな日本語を理解し、話せました。ですから、お寺で、そういう会ができていましたが、私が中学を卒業する頃には、まわりで日本語を話せる友達というのは少なくなっていきました。その後、サンパウロに引っ越すと、もう日本語を話せる友達はほとんどいなくなりました。

     

    木越

    そうなると、やはり真宗の教えをポルトガル語など多言語化すること、そして発信するツールを持つことが大事ですね。宗門では『同朋新聞』が一番大きい情報発信の媒体です。真宗を知らない方たちの手にどうやったら『同朋新聞』を渡していけるか。翻訳し、多言語で発信していくことも重要な課題です。

     

    門首

    書物を読んでいる時に、「親鸞の言葉では〇〇という」などと出てくる場合がありますね。例えばこれを外国語に訳すとなると、親鸞という方を海外の方たちは誰か知らないんですよね。だから、親鸞という方と真宗の教え。この糸がつながっていないと、どんなに素晴らしい言葉を翻訳しても相手に響かないのではないかと思うのです。

     

    私たちも実際にブラジルに住んでいた頃は、「親鸞聖人」という単語はあまり聞きませんでした。お寺で育ちましたが、親鸞という人物のことは、あまり耳にしなかったと思います。だから、親鸞という言葉から説明しないといけないですよね。

     

    木越

    英語でも、『歎異抄(たんにしょう)』などさまざまに紹介されていますが、特別な関心がある人にしか知られていないと思います。まったくそういうことに関心のない方の目に飛び込むような発信の仕方はまだできていないので、それをやらなければいけない。

     

     

    ―日本国内でも、これからそういう傾向は出てくるでしょうから、今おっしゃっていただいたことは、ヒントになるかなと思います。

     

    木越

    真宗の教えを知らない人にも、「親鸞」という名前の響きや、お念仏の声が日常的に入ってくるということが大事だと思うんですね。

     

    「親鸞」という名前や、絶対的平和を願っている浄土真宗というフレーズなどを絶えず発信して、その中で関心を持ってもらえればいいなと思いますね。まずは、発信の仕方にいろいろ工夫が要ると思います。

     

    門首

    私たちは必ず親鸞という人が誰であるか知っている前提で話しかけてしまいますね。けれど、そうではない、親鸞のことを知らない人がいるということも頭に入れておかないといけませんね。

     

    日本国内だけでなく、開教区でもそうですが、お寺で発行している新聞でも、結局はコミュニティーの話なので、親鸞という人のことを知っている人に向けた話になっていますから、全然知らない人にも向けた発信が大事じゃないかなと思います。

『同朋新聞』リニューアル

  • ―『同朋新聞』が、1月からリニューアルしますが、毎月お手元に届いた時に楽しみにされているコーナーなどはありますか。

     

    門首

    まずはやはり1面の写真ですね。昨年9月号の写真は自衛消防隊でしたね。本当に写真がきれいでした。私が見ていると、妻のサチカが来て、「おお、これはきれいだね」と言っていました。

     

    通信員リポートもいいですよね。それぞれの方が感じたことやこれからのことが書かれていて、フランクにお話をされているのがいいですね。

     

    以前、海外のご門徒や僧侶の方が連続で登場していた時期もありましたね。当時ブラジルから日本に来てすぐの頃だったこともあってとても懐かしく読んでいました。

  • 木越

    私は先日アメリカに行ってきたのですが、アメリカは私の年代のほとんどは3世で、もう1世はほとんどいないですね。1世の方は、自分のアイデンティティーを確かめにお寺に来ていたんですね。自分が存在しているルーツをやはり確かめに来られていたわけです。

     

    そして、現在お寺に来られている4世、5世の人に聞いてみると、自分の先祖が大事にしていた宗教が、自分の中にあるんだということを言っていました。「私は一人ではなく、先祖がいて私がいる、それが私の存在を支えてくれているのだ」と話してくれた人がいました。そういうご門徒とのふれあいも大事ですし、日本の皆さんにも出会ってほしいと思います。

     

     

    ―最後に今後の『同朋新聞』に願われていることはありますか。

     

    木越

    私は、この『同朋新聞』の一ファンとして、もっと多くの方に読んでもらい、また人に薦めたいと思ってもらえるようなものになるといいなと思います。そのためには、私だけではなく、皆さんにももっと『同朋新聞』のことを宣伝していただきたいと思います。世界に目を向けて、さまざまな国の人にも届くような新聞になっていくよう努めます。

     

    門首

    本当に総長の言われるとおりですが、私もできるだけたくさんの方に、この『同朋新聞』が国の境も超えて広がっていってほしいと思います。ブラジルは、ポップカルチャーやファッション、食文化など日本ブームが起きています。

     

    そういうこともあるので、もう少し工夫をしたアプローチができたら、読んでくださる方も増えるのではないかと思っています。その方途の一つとしてポルトガル語で読めるようになればいいなと思いますね。そして、英語や中国語などもっと多くの言語で届けられるようになるとより良いですね。

     

    そして、そのことが多くの方に南無阿弥陀仏、真宗の教えを伝えるきっかけになるのではないでしょうか。(了)