―門首は、門首就任時からかねがね、真宗は世界に開かれた教えであるとおっしゃっておられますね。世界中に南無阿弥陀仏を伝える、良い機会になるでしょうね。
門首
ニュースでは、子どもたちが食べるものがなくて困っている。ああいうのを見ると、本当に心が痛みますし、どうして人間はこういうことしかできないのか。話し合いというものがなぜできないのかと考えてしまいます。このような時であればこそ、わかち合う心、お念仏の心を広めたいですね。
世界にお念仏が広がることは素晴らしいことなので、なんとか方法がないものかと、頭を絞っているのですが。人間は餓鬼・畜生、もう本当にそういうところに落ち込んで、その世界から出たくないんですよね。
どうやったら、人と人との間で、思いやりと、いつくしみの心を保ってもらえるようになるのか。なんとかお念仏を届けたいと思います。
そのために私たち真宗大谷派がやらなければいけないことは何か。まずは足元から、一人でも多くの人にお念仏の心を知ってもらい、多くの人にその喜びを感じてもらうことができたら、素晴らしいことだと思います。
少しずつですが、南米開教のかたちも変わってきていると思います。それは、私たちがブラジルに渡った1952年から長い間、開教寺院の僧侶が話す言葉は日本語だけでした。ですから、日本から移民として来られた方、そして2世以降であれば日本語のわかる方でないと僧侶の話も理解できません。
私は若い頃、青年会に参加していましたが、その人たちは、みんな日本語を理解し、話せました。ですから、お寺で、そういう会ができていましたが、私が中学を卒業する頃には、まわりで日本語を話せる友達というのは少なくなっていきました。その後、サンパウロに引っ越すと、もう日本語を話せる友達はほとんどいなくなりました。
木越
そうなると、やはり真宗の教えをポルトガル語など多言語化すること、そして発信するツールを持つことが大事ですね。宗門では『同朋新聞』が一番大きい情報発信の媒体です。真宗を知らない方たちの手にどうやったら『同朋新聞』を渡していけるか。翻訳し、多言語で発信していくことも重要な課題です。
門首
書物を読んでいる時に、「親鸞の言葉では〇〇という」などと出てくる場合がありますね。例えばこれを外国語に訳すとなると、親鸞という方を海外の方たちは誰か知らないんですよね。だから、親鸞という方と真宗の教え。この糸がつながっていないと、どんなに素晴らしい言葉を翻訳しても相手に響かないのではないかと思うのです。
私たちも実際にブラジルに住んでいた頃は、「親鸞聖人」という単語はあまり聞きませんでした。お寺で育ちましたが、親鸞という人物のことは、あまり耳にしなかったと思います。だから、親鸞という言葉から説明しないといけないですよね。
木越
英語でも、『歎異抄』などさまざまに紹介されていますが、特別な関心がある人にしか知られていないと思います。まったくそういうことに関心のない方の目に飛び込むような発信の仕方はまだできていないので、それをやらなければいけない。
―日本国内でも、これからそういう傾向は出てくるでしょうから、今おっしゃっていただいたことは、ヒントになるかなと思います。
木越
真宗の教えを知らない人にも、「親鸞」という名前の響きや、お念仏の声が日常的に入ってくるということが大事だと思うんですね。
「親鸞」という名前や、絶対的平和を願っている浄土真宗というフレーズなどを絶えず発信して、その中で関心を持ってもらえればいいなと思いますね。まずは、発信の仕方にいろいろ工夫が要ると思います。
門首
私たちは必ず親鸞という人が誰であるか知っている前提で話しかけてしまいますね。けれど、そうではない、親鸞のことを知らない人がいるということも頭に入れておかないといけませんね。
日本国内だけでなく、開教区でもそうですが、お寺で発行している新聞でも、結局はコミュニティーの話なので、親鸞という人のことを知っている人に向けた話になっていますから、全然知らない人にも向けた発信が大事じゃないかなと思います。