機関紙『同朋新聞』

親鸞聖人が大切にされた浄土三部経の一つである『観無量寿経』序分には、どのようなことが書かれていて、“今”を生きる私たちに何を伝えているのでしょうか。「東本願寺 日曜講演」の講演録をもとに今号より丁寧に紐解いてまいります。

第1回 王舎城の物語①

『観無量寿経』は、親鸞聖人が大切にされた浄土三部経の一つです。『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』と『阿弥陀経(あみだきょう)』とあわせ、阿弥陀仏の本願に基づく未来の一切衆生(しゅじょう)の仏道を説く経典です。

 

また『観無量寿経』は、『大無量寿経』が「(ほう)の真実」を説いているのに対し、「()の真実」を説く経典と教えられています。「機」は、仏法を受けとめる衆生のあり方のことを言います。仏法をたちどころにさとることができる人もいれば、なかなかさとりが開けない人もいます。私たちはどうでしょう。『観無量寿経』は、その自らのあり方を知らせ、阿弥陀仏の浄土への往生を勧める経典と言えましょう。

 

なぜ私たちにとって自らのあり方を知ることが必要なのでしょうか。それは、浄土に往生することを願われている身であると、私たちがなかなか(うなず)けないからです。現代人には浄土という世界そのものが信じられないということもありますが、映画などで見る現実ではない世界に行ってみたいと思うことがあるのに、浄土にはそう感じられない。それは私に必要な世界であることがわからないからです。

 

浄土を必要とする自己自身を教えられ、念仏して往生すべき身と頷く。『観無量寿経』に学ぶのは、他ならぬ私自身のすがたなのです。

 

さて、そのように『観無量寿経』に私自身を学んでいきたいと考えているのですが、今回は『観無量寿経』全体ではなく、特に「序分」に学んでいきたいと考えています。

 

経典の構成は、「序分」、「正宗分(しょうじゅうぶん)」、「流通分(るずうぶん)」と大きく三つに分けて理解されます。まず、序となる部分が「序分」です。そして、「正宗分」とは、本文のことです。最後に、「流通分」というのは、経典の最後に、説かれた内容をたくさんの人々に広めてほしいと、その流通をお釈迦さまが仏弟子に託していくという部分です。通常ですと序は「序()」と書きますが、経典の場合は、部分」、「分けた」という意味で、「序()」と書きます。

 

序分は、いろいろな意味をもちます。『大無量寿経』、そして『観無量寿経』の序分は、「由序(ゆいじょ)」という言い方をします。なぜその経典が説かれるのか、その理由、そして由縁(ゆえん)について明かしている一段になります。『観無量寿経』がどうして説かれるのか、その由縁が「序分」に説かれているわけです。

 

『観無量寿経』の序分には、「王舎城(おうしゃじょう)悲劇(ひげき)」という物語が説かれています。

 

お釈迦さまの時代、インドにはマガダ国やコーサラ国という大きな国がありました。「王舎城の悲劇」は、そのマガダ国で起こった事件です。マガダ国は、当時、頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)という王さまが統治していました。この王さまは、さとりを開かれる前のお釈迦さまにもお会いになっており、お釈迦さまがさとりを開かれた後はその教えに帰依をした方でいらっしゃいます。

 

その頻婆娑羅王が、お子さまである阿闍世(あじゃせ)に殺されてしまったのが「王舎城の悲劇」です。提婆達多(だいばだった)という仏弟子が阿闍世に、〝お釈迦さまを殺して私が新仏(しんぶつ)となり、あなたには頻婆娑羅王を殺し、新王(しんおう)となっていただいてともに歩んでいきましょう〞とそそのかしたのです。阿闍世はそれに従って、頻婆娑羅王を幽閉して殺してしまったのです。

 

これは古代インドの有名な事件で、多くの仏典でいろいろな形で説かれます。その中で、『観無量寿経』は、この頻婆娑羅王と阿闍世の父子が中心の物語とは少し異なっていて、幽閉されてしまった頻婆娑羅王を助けていた韋提希夫人(いだいけぶにん)、すなわち阿闍世のお母さんが主人公になっています。(続く)

鶴見 晃
鶴見 晃

(つるみ あきら)

同朋大学文学部仏教学科教授
岡崎教区第32組善正寺衆徒