

親鸞聖人がお念仏の教えを自分のところまで届けてくださった師として、生涯大切に仰がれた方々がいます。「七高僧」と呼ばれるインドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空(法然)。そして「和国の教主」と仰がれた聖徳太子です。
親鸞聖人は彼らからどんな「ひかり」を受け取られたのでしょう。本号からは、源空について、3回にわたってたずねてまいります。

源空上人(1133―1212)は、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した人物です。「法然上人」とも呼ばれます。
源空上人は、武士の息子として生まれ、幼名を勢至丸といいました。ある時、父は夜討ちに遭い、瀕死の重傷を負います。死の間際に、息子の勢至丸を呼び、「仇を討つことなく、往生極楽をいのって、自他平等の利益をおもえ」と諭しました。
出家した源空上人は、父の願いを受けて精力的に修行に励みました。やがて、比叡山の黒谷に入ります。当時の黒谷は、源信僧都以来の念仏の伝統が残っており、名誉や地位を求めずに修行に励む仏教者が集まっていたといいます。
源空上人は、学問探究にも邁進します。何千巻もある一切経(すべての仏典)を何回も読み返すほどで、「智慧の法然房」と称賛されるようにまでなりました。
ある時、何回目かに一切経を繙いたとき、善導大師の『観経疏』にある「一心に専ら弥陀の名号を念じて…(中略)…、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」という文にハッとさせられました。この経験をきっかけに源空上人は専修念仏に回心したとされます。
源空上人は、善導大師のこの言葉を初めて目にしたわけではありません。それまでも何度も読んでいました。それにもかかわらず、何度目かになってようやく気づけたのは、源空上人の中で問いが深まるのに時間がかかったからです。
源空上人が一切経を何度も読み返していたのは、父の遺訓である「自他平等の利益」を求めていたためかもしれません。仏典には、すべての衆生が必ず救われると、確かに記されています。しかし、現在でも、「すべての」「必ず」といった表現を見ると、本当なのだろうかと眉に唾をつけます。例えば、源空上人の父を殺した人物も、本当に平等に救われるのでしょうか。
そのような疑問が深まる中で、源空上人は、先に挙げた善導大師の言葉に触れたのでした。そこには、一切衆生を救うのは仏の願いであったことが示されています。救われるかどうかは、衆生の側の問題ではないというのです。そして、その願いは念仏という形ですでに届けられていたのです。善導大師のこの指摘は、源空上人が抱いていた疑問に応えるものでした。
そして、源空上人は、念仏というひかりがすでに射していることを、日本中の人びとにひろめたのでした。


(わけみ あきら)
大谷大学文学部仏教学科教授
京都教区近江第25西組長光寺住職