機関紙『同朋新聞』

親鸞聖人が大切にされた浄土三部経の一つである『観無量寿経』序分には、どのようなことが書かれていて、“今”を生きる私たちに何を伝えているのでしょうか。「東本願寺 日曜講演」の講演録をもとに丁寧に紐解いてまいります。

第2回 王舎城の物語②

前回尋ねましたように、序分は、経典がなぜ説かれるのか、その由縁(ゆえん)を明らかにしています。『観無量寿経』では、その由縁が「王舎城(おうしゃじょう)悲劇(ひげき)」をとおして説かれています。しかし、他の多くの仏典で描かれる「王舎城の悲劇」の物語と異なり、『観無量寿経』は、韋提希いだいけ)夫人(ぶにん)を主人公とすることに特徴があります。お釈迦さまが、法をお説きになる相手を対告衆(たいごうしゅ)と言いますが、この対告衆が韋提希夫人であることに大きな意味があります。その意味を尋ねる前に、まず序分から正宗分(しょうじゅうぶん)にかけての内容を確かめておきましょう。

 

マガダ国の王子である阿闍世(あじゃせ)は、仏弟子の一人であった提婆達多(だいばだった)にそそのかされて、父・頻婆娑羅(びんばしゃら)(おう)を牢獄に幽閉してしまいました。それを憂えた阿闍世の母・韋提希夫人は、頻婆娑羅王に食べ物を届け、助けていました。食べ物といっても、お盆に載せていくわけではありません。体に塗って、そして耳飾りのところにブドウのジュースを入れて、隠して持っていき、頻婆娑羅王を助けていたのです。しかし、それを知った阿闍世は激怒し、韋提希夫人を剣で殺そうとします。

 

その際に、二人の大臣がそれを(いさ)めて、韋提希夫人は殺されることを免れるのですが、阿闍世によって王宮深くに閉じ込められてしまいます。そうしますと、頻婆娑羅王を助けることもできない。そしてまた、お釈迦さまに会うこともできない。いつ自分も殺されるかわからない。そういう憂い、悩みから、お釈迦さまの助けを求めていくのです。そしてその心に応答したお釈迦さまが韋提希夫人のもとに現れて、お釈迦さまのご教化が始まっていくのです。

 

韋提希夫人は、お釈迦さまに対して憂い、悩みのない世界に生まれることを求めます。そしてその世界は、極楽世界の阿弥陀仏のみもとであるということを知り、阿弥陀仏の世界への往生(おうじょう)を求めます。その求めに応じてお釈迦さまは、阿弥陀仏の極楽世界を観察(かんざつ)することを教えます。観察の内容として、浄土の世界や阿弥陀仏のお姿、観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)勢至菩薩(せいしぼさつ)のお姿、そして自分自身が往生していく姿などが説かれています。この観察が浄土に往生するための行であり、正宗分の内容になります。なぜそのような観察の行が説かれていくのか、序分はこの由縁を表しています。

 

ちなみに『(だい)()(りょう)寿(じゅ)(きょう)』は、仏弟子の阿難(あなん)が、お釈迦さまのお姿が光り輝いていることに気づき、「どうして今日はそんなに輝いているのですか」と問うところから説かれていきます。阿弥陀仏を念じているお釈迦さまが光り輝いていた。阿難は、そのお姿に気づき、なぜ光り輝いているのかを尋ねたのです。お釈迦さまは、その輝きを発見した阿難に対して、「よく問うてくれた。私は今、阿弥陀仏の本願(ほんがん)を念じているのだ」として、阿弥陀仏がさとりを開かれる前、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であった時に誓われた本願と修行、そして建立(こんりゅう)された浄土をお説きになっていかれます。親鸞聖人は、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』「教巻(きょうのまき)」にこの序分を引用なさって、お釈迦さまの出世(しゅっせ)本懐(ほんがい)は阿弥陀仏の本願と名号(みょうごう)を説くことにある、と確かめておられます。出世本懐とは、仏がこの世にお出ましになられた目的です。親鸞聖人は、このことをもって真実の教とは『大無量寿経』であるとされたのです。

 

それに対して『観無量寿経』は、出家した仏弟子でなく、韋提希夫人を対告衆として説かれます。ここには苦悩する存在を救う教えが阿弥陀仏の本願であることが表されています。仏弟子阿難に対して説かれた阿弥陀仏の本願が、いよいよ苦悩する一人の存在の救いとして成就する。その本願成就を説くのが『観無量寿経』なのです。

 

そして大切なのは、この韋提希夫人をとおして、未来の一切衆生(しゅじょう)の救いが説かれていることです。確かに韋提希夫人の苦悩は、マガダ国王家に起こった、特殊な事例のようにも見えます。ですが、ここには私たちが苦悩に向き合う道が教えられているのです。私たちの苦悩にこそ、阿弥陀仏が本願を起こして救わんとする由縁がある。そのことを序分は「王舎城の悲劇」の物語をとおして語っているのです。(続く)

鶴見 晃
鶴見 晃

(つるみ あきら)

同朋大学文学部仏教学科教授
岡崎教区第32組善正寺衆徒