機関紙『同朋新聞』

第2回

親鸞聖人(しんらんしょうにん)(あらわ)された「正信(しょうしん)()」の言葉には、どのようなメッセージが込められているのでしょうか。英訳をとおして、一緒に味わっていきましょう。

帰命無量寿如来 南無不可思議光

きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう

 

 

英訳

I respectfully follow the direction of the Tathāgata of Immeasurable Life
And bow down before [the Tathāgata of] Inconceivable Light.

 

 


 

「正信偈」の冒頭の二句は、「南無阿弥陀仏」という言葉の意味を漢語で表現しています。「南無阿弥陀仏」は、サンスクリット語の音写語ですが、第一句では、親鸞は「南無」を「帰命」と訳し、「量り知ることができないいのち」という意味を持つ「阿弥陀仏」を「無量寿如来」と翻訳しています。

 

今までの英訳の多くは、「帰命」を「take refuge」(避難所とする)として翻訳していました。今回の英訳では、親鸞が「「帰命」は本願(ほんがん)招喚(しょうかん)勅命(ちょくめい)なり」(『真宗聖典第二版』194頁)と定義していることから、「帰命」を「follow the direction」(命令に従う)にしています。

 

私たちは、阿弥陀仏を、苦難から守ってくださる存在として想像しがちです。しかし、無量寿という視点で見れば、私たちは無量のいのちのつながりとして生を受け、大いなる因縁の流れによって命を終えることになりますから、それは、決して私たちにとって都合のよい避難所ではありません。

 

私たちは、「老」「病」「死」をもたらす因縁から逃れられません。私たちの生活は、自分のコントロールを遥かに超えた形で(はたら)いている無量の因縁によって形成されており、事実として、その因縁が命じるままにしか生きられません。

 

しかし私たちの心は常に、なんとかしてその大いなる流れを自分の意のままに動かそうとし、従わせようとするので、思い通りにならない世界に(わずら)い悩むことになってしまいます。

 

そうした自分の勝手な思いを生活の指針とするのではなく、私たちの生活を実際に形成している無量寿の(はたら)きに刻々と従い、その因縁が命じるままに人生を運ぶことこそ、苦悩から解放され、どんなに不都合な状況が訪れても、それを静かに受け入れるために不可欠なことなのです。ですから、親鸞は、「帰命」を「絶対に従わなければならない命令」と理解し、ここでは、無量寿として語られる大いなる因縁の命令に従うことを表白(ひょうびゃく)しているのです。

マイケル・コンウェイ

大谷大学文学部真宗学科准教授